やっと会えた我が子。

涙涙のご対面…

ではなく、

可愛くて可愛くて、

嬉しくて嬉しくて、

二人とも笑ってた。

そんなBTs家の新メンバーのお誕生。

「よくきたね」

「ありがとう」


理性がぶっとぶこともなく、

ダンナは視界にいなかったけれども、

ずっと頭をなでていてくれたこと、

「大丈夫だよ。」と言ってくれてたこと、

心の中で「せーの」って言いながら、

お腹の子と力を合わせたこと、

イキむ時、「次で最後にする?」って話しかけてたこと、

忘れたくないなぁ。

本当に共同作業だった。



妊婦最後の週は、早く会いたい気持ちと、

ずっとお腹の中にいてほしい気持ちが、

どっちもあった。

あの一心同体感はとてつもなく幸福だった。


だから、「何日に出てきてね。」って最後の方は話しかけられなかった。

「いつでもいいよ。」って言ってたっけ。

最初は「21日がいいかなぁ。」なんて言ってたけれど、

ダンナが「もう出てきていいよ。」

「19日でいいよ。ナイクだ、ナイク。」って言ったから、

7月19日に出てきてくれたのだと私は思う。

これは確か、16日か17日に言っていたのだ。


私がお願いしていたことは、

・3000グラムを超えたら出てきてね。

・ダンナがいる時に出てきてね。

・他の人のお産とかぶらない時にしてね。
 (お産がかぶったら、立ち会い不可だったから。)

結果からみれば、全部叶えてくれた。

深夜は避けてね、ともお願いしておけば良かったかなぁ。笑。
(深夜料金で高かった。笑。)



出産も十人十色。

私の場合はどうだったのか、記録しておきたいと思う。

ここからは私的記録。


7月18日の朝4時半頃、トイレに目覚めた時、

いつもと違う、生理痛のような腰痛を感じた。

あれれ?と思ったけれど、その後すぐに寝た。

午前中も腰の痛みはあったけれど、全然我慢できる程度。

朝ごはんも、お昼ごはんも普通に食べて、

お昼寝までしていた。

予定日を過ぎていたから、いつ産まれても良かったのだけど、

この痛みはまだだなと思っていた。

陣痛って死ぬほど痛いって言うし、

テレビの映像とか、歩けない位ヒーヒー言ってるからさ。

念のためダウンロードしていた「陣痛時計」で、

痛みの間隔を記録しようと思ったのが13時頃。

でも、痛みの始まりと終わりが曖昧で、

これでいいのかな?って思いながら計測してた。

今、振り返って記録を見ると、

13時台ですでに8~10分の間隔。

14時から16時の間は途切れているから、お昼寝中。

その後も7分だったり、9分だったり、安定しないから、

これは前駆陣痛(本陣痛ではない)だなと思っていたのだ。

17時半から19時までも途切れていて、これは夕飯の支度中。

夕飯の時も痛みの波は来ていたけれど、

まだまだだと思っていた。

この日はダンナも早く帰ってきていたので良かったと思っていた。

21時になって、ちょっと不安になってきたから、

一応、産院に電話してみることにした。

記録によると、この時6分間隔くらいだった。

そりゃ、陣痛だろっと今だったら思えるけど、

本当に確信が持てなかったのだ。

「一応、病院に来て下さい。」と言われたので、病院へ。

シャワーを浴びてからと思ったのだけど、歯磨きだけにしておいた。

両親には「帰ってくるかもしれないけれど、一応病院に行ってくる。」

と言って、家を出た。

21時半頃病院に着いて、診察を受けると、

「入院ですね。子宮口5センチ開いてます。」

とあっさり言われた。

「え?」

驚いた。

入院する部屋を選び、病院着に着替え、

陣痛室を通り越し、いきなり分娩台へ。

この時、陣痛は5分間隔。

あー、陣痛だったのか。

「痛みが来たら、深呼吸。」

この指示を忠実に守り、過ごす。

陣痛がきたらメールで実況すると友達と話していたので、

陣痛と確信できた分娩台からメール。

「陣痛なう」ではなく「分娩台なう」になってしまった。

分娩台に寝てからも、まだかなり元気で、

ダンナと談笑、ビデオカメラで撮影、

そしてメールもしていた。

「携帯いじれるなら、まだ余裕ね。」と言われ、

陣痛の間隔も短くなっていなかったため、

一度陣痛室へ行かされる。

「イキみたくなったら呼んで。」

これだけ伝えられ、ダンナと二人で待つ。

23時位だったかな。

さすがに痛みはキツくなってはきていたけれど、

ダンナが腰をさすりまくる、とか、

「ガンバレー、ガンバレー」と励ます、とか、

ゴルフボールでグリグリする、とか、

よく聞く光景は私達の場合、皆無だった。笑。

仰向けに寝ていた私は、痛みが来たら、

「ふーーぅ。」と深呼吸に集中し、

自分の手を腰にあててしのいでいた。

ダンナには陣痛時計を押す係をしてもらった。

「イキみたくなったら」というのも難しいもので、

これもまた、よく分からなかった。

痛みが強くなったし、そろそろヤバイかもって時に、

看護婦さんを呼んだ。

そしたら、子宮口全開で分娩台に移動となった。

ちなみに、痛みの波が来ていない時ならば、

歩くのも大丈夫だった。

そして、いざ「イキんでいいよ」って言われても、

最初はイキむって??って感じだった。

この時、多分23時40分~50分位で、

分娩台から時計が見えるから、

時間ばっかり気にしていた。

18日がお義母さんのお誕生日だったから、

同じがいいのか、別のがいいのか、

ギリギリまで悩んでしまった。

仲良しの友達の誕生日でもあったから、

18日でもいいかなって思ったけど、

やっぱり別の日のがいいかなって、

そんなことを考えてた。

悩んだところで、自在に操れるわけでもないのにね。

イキんでからどの位で産まれるのか、

検討もつかなかったから、

「この調子だと、日をまたぎますかね?」と、

聞いてみると、

「またぐと思うよ。」と言われ、ちょっと安心する。


0時を過ぎて、19日になった時に、

「よしっ」と気持ちが固まったのを覚えてる。

結果、産まれたのは0時25分。

思ったよりも力強い泣き声で、

産声を記録しておこうと思って購入していたビデオカメラは、

陣痛室に忘れてきていたよね。

産まれたての我が子を見た時に、

「カメラ、カメラ!」と言ったよ。

もうね、我が子はこんなに可愛いのかって感じ。

こんな顔してたんだー、こんな声だったんだー、

可愛い、可愛い、可愛い!!!

そんな感じ。

私自身も泣くかなーなんて思ってたけど、

今回はそういう感じではなく、

可愛くて、嬉しくて、ワクワクする感じ。

ダンナもそんな感じかな。

爽やかな、ポジティブな感動だった。


出産後は、ハイな状態になってたんだと思う。

心も体も元気で、全然眠れなかった。

私の産んだ産院は、出産当日は赤ちゃんと別室ということもあり、

産んだ実感がわきにくく、夢見心地だった。

まぁ、体にはちゃんと産んだ証拠が残ってたんだけども。

足は力のいれすぎでプルプルしてたし、

次の日、上半身はかなりの筋肉痛で、

下半身は傷の痛みで、しばらくトイレ恐怖症だった。


私の出産は時間的には短く、痛みも軽い方だったと思う。

いや、痛い時間が短かったから、軽いのか。

やっぱり痛かったし、命がけだったと思う。

途中でやめられないしね。


でもね、経験者がみんな言う通り、

あんなにきつかったつわりも、

陣痛や出てくる瞬間の痛みも、

産後の傷の痛みも、

既に忘れかけてるんだよね。

あんなにキツかったのに。

不思議だなぁ。


ということで、長々と書いてしまったけれど、

あの日から1カ月。

この1カ月での思うことは、また後で書きたいと思う。

書けるかなぁ。

よめ