mec-sympaさんがブログ

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で私について仰った・・・

 

【『決して孤独になってない』ということ。】

確かに!いつも友人知人に囲まれています。

当然、去る人も居ますし、こちらから縁を切った人もひとりだけですが居ますが、基本は「来る人は拒まず、去る人は追わず」です。「来る人は歓迎、去る人はご自由に」かな(笑)。

 

よく「人生において親友と呼べる友はひとりふたり居ればよい」などと言われるけど私には義兄弟の盃を交わした友も含めて片手で数える以上の親友と呼べる人が居ます。長時間の手術から目覚めた時、家族しか入れないはずのICUに友人が居たことには驚きました。

「男女間で友情はない」と言う人も居ますが、私はそうは思いません。人種、宗教のこだわりもありません。

 

親友の一人STRONGが、私がステージⅣの稀少がんで余命宣告受けて、大手術して、声を失って、障害者になって、「引き籠りになるのでは?」と心配したと言ってくれたけど全然そんなことありませんでした。

 

【なったものは仕方がない!受け入れて前進あるのみ!!】

ステージⅣのがんになったものは仕方がない!

癌切除手術で、声を失い胸に穴を開けてそこから呼吸をすることになることには流石にためらいがありましたが、受け入れて前向きに出来る事をやるだけ!!

 

恩人、笠松さんの「まず生きましょう!鼻が胸に付いたと思ったらいいじゃないですか!」と言う言葉とBodyguardの「僕ならどんな体になろうと生まれ変わった体で奇跡を起こします!」という言葉で「人生で誰もが出来ない貴重な経験が出来る!!」あっさり受け入れることが出来ましたしかし、実際には手術から目覚め声を失い、口鼻ではなく胸の穴で呼吸するのに慣れるにはそれなりの時間が必要でしたが・・・。

 

医師から「10㎝の稀少がんで気管、喉頭部と広がりステージⅣ」と言われた時も「上等やないか。同じがんになるならステージⅣの方が戦い甲斐があるし、希少な方が話題性もある!!良い経験や!」開き直れました。

 

「抗がん剤が効かない稀少がん」というのも「抗がん剤の副作用で命を削るという話もよく聞くし、抗がん剤が効かないがんと言うなら「やるかやらないかと治療を迷うこともない」から良かったと考えました。

 

「5年後の生存率40%未満?」ならば、「40%もあるやん!!生きてる人間全員遅かれ早かれ逝く。今、元気な人でも明日死ぬかもしれない。100年生きたとしてもたった36500日。大差ない」と思いました。

 

「声、臭覚がなくなる、骨も筋肉も切除する、力を入れることが出来ないから筋トレもできなくなる、風呂にも入れなくなる」・・・ならば「その肉体で出来る事をやり奇跡を起こそう!」何でも受入れ前向きに考えられたのは事実です。

 

 

【包み隠さずオープンにするわけ!!】

がんという病気はかつては「治らない死ぬ病気」と思われ、ひたすら隠す、職場にも友達にも言わないという風潮がありました。「がんは治る時代」と言われ出した今日ですら治るがんは初期のがんか限られたがんです。知られたくないという人も大勢居ます。

しかし、だからこそオープンにする必要があるのでは?」と私は思っています。黙っていれば、新しい情報も入ってこず新しい治療も受けられないし、同じような状況下にある人に希望を与える、経験を、情報を伝える機会さえ失うことになると思うからです。

考え方は人それぞれですが・・・。

 

 

【私を支えてくれているもの】

「巡り合った優秀な医師、看護師さんたちは言うまでもなく、家族、友人たちとの交わり」と共にすでに「習慣化されていた筋トレ」、親友の勧めで始めた「先祖供養」、朝晩の「人生で関わったすべての人、物ごとに対する感謝の祈り」積み重ねが今の私の人生を支えているのは間違いないと思います。

 

 

【これから・・・】

がん告知から6年半。

正直、2017年にはここまで生きていないだろうと思い、自分の入る墓まで作りましたし、2019年「筋肉オフ会TheFINAL」を開催した直後、相方、義兄弟のSATOさんと『5年後の2024年に二人が元気で生きていたら「筋肉オフ会リターンズ」をやろう』と話したものの現実になるとは思っていませんでした。実際、その間に2度のがん転移を経験しました。

これまでは優秀な医療関係者、家族、友人たち『強運』に恵まれてきましたが、今後はいつまた新たな転移、再発に襲われるやわかりません。その時からが、『がんとの本当の戦い』だと思っています。

 

その時に備えて(来てほしくないけれど・・・)

日々の「筋トレ」「ストレッチ」朝晩のご先祖様への祈り積み重ねているのです。

 

やりたいことをやり、会いたい人に会って、悔いを残さないように日々を重ねていくのみです。それらが自分の力になり悔いのない人生の実現につながると信じていますから。