今日は、がんとも筋肉とも関係のない昔話です(笑)。

 

学生時代に春休みになればバイトをして、夏休みに入ると同時に沖縄へGO!!

最初は、神戸港から関西汽船に乗って2泊3日の船旅で行っていたものの、スカイメイトなるものに入会してからは飛行機でGO!!そんな学生時代でした。

 

(※関西汽船で2泊3日で沖縄へ。船上で知り合った方々とパチリ!!)

 

なぜ沖縄が好きかと言うと、もともと寒いところより真っ青な空とサンゴ礁の海、燦燦と降り注ぐ太陽と言った南国への憧れが強かったからでしょうか?

 

 

そして何よりも私にとって「沖縄=CYNTHIAこと南沙織さん」なのですが、はじめから好きだったわけではなく青陵高校時代の親友、近堂くんが「南沙織がいい」!!南沙織がいい!!」としつこく言うので見てみたテレビの関口宏さん司会の「スター千一夜」のわずか15分で一気に虜になったのです。ルックス、歌だけでなく、いわゆるチャラチャラしたところがない、考え方がしっかりしているところに強く惹かれたのです!!頭のいい娘だなと思いました。

 

大学進学と同時に「CYNTHIA ファンクラブ」に入会。そして、コンサートへ、夏休みには沖縄に行くとなったのです。

 

 

当時は今と違って個人情報などで騒いでいませんでしたし、マスコミ誌には平気で芸能人の個人情報が掲載されていました。当然のように当時のアイドルCYNTHIAの自宅住所、マップまでが「月刊明星」に掲載されていました。

 

当時は「ストーカー」とか言う言葉も聞かなかったし、そのことで大きな犯罪がおきたという話も聞きませんでした。今と違って生きやすい良き時代だったと思います。

 

大学2年の夏、春休みのバイトで貯めたお金を持って友人と3人で沖縄に行った時のこと。宿泊先は恩納村松茂良荘という民宿でした。ご家族で経営されていて皆さん素朴で親切。気に入ったのでそこで数週間滞在した後、3人で那覇に移動することになりました。

 

その時、私は「月刊明星」に載っていたスターの街イラストマップ南沙織のページを持ってきていました。そして、58号線を恩納村から那覇に向かうバスの車中でマップにあった「大謝名」というバス停を発見。「夜に那覇で会おう!」と二人に伝えてひとりバスを飛び降りました。

 

この時は、CYNTHIAが育った街を散策してみたいという感じでした。マップのイラストを見ながら嘉数中学を通り、CYNTHIAが通っていたという『Christ The King School』に向かいました。ちょうど校門のところに差し掛かった時いきなりのスコールに見舞われ校内の軒下へ避難。

 

雨宿りしているうちに、トミー・ロウという学生が日本語で声をかけて来たので話し込んでいると校舎から先生らしき男性が現れました。と突然、会話が英語に変わりこちらはチンプンカンプン!!でもその会話のなかで「シンシア・ポーリー」だけが聞き取れたのです。

 

トミーに訊いてみると「歌手の南沙織だよ。」とのこと。そこで自分が南沙織のファンであることを告げると「今日の午前に家に帰ってきているよ。僕は弟のタミーの友達だから家まで行こうか!」と思いがけない話。

 

急いでトミーについて行ったのです。しかし、出てきたのは妹のロージーさんで、「生憎、仕事の合間に来たからもう帰った。」とのこと。当然ですよね。当時、売れっ子のアイドルなんですから。念願の面会は有りませんでした。ロージーさんも可愛いお嬢さんでした。

 

その日以来、私のCYNTHIAファンは半世紀近く続いていますが、引退の日まで同じ空間に居たのはコンサート会場だけ。念願のツーショットは今日まで叶っていません。残念!!

 

しかし、明星のスターの街イラストマップは嘘ではありませんでした。今でも私の脳は住所を忘れずに覚えています。古き良き時代の良き青春時代の思い出となりました。

 

 

恩納村の民宿「松茂良荘」にて。

 

 

宜野湾市佐真下の家

 

『傷つく世代』

(※CYNTHIAらしい曲のひとつで大好きです!!)