がん宣告から今日までのまとめ(2)

『精神的ストレスが肉体に与える影響』

 

叫び効く抗がん剤が無い希少癌

 

叫び放射線も効かない。

 

叫び可能性のある治療は外科手術で患部を切除することのみ。

 

叫び手術をしなければ3~4か月で、すでに気管の3分の2を塞いでいるがんで窒息する可能性が高い。

 

実際に当時ブログを読んでコメントをくださったももさんと言う方のお父様が自覚症状のないまま勤務中に突然呼吸困難で倒れ亡くなられたのですが、死因は気管内に発生したがんが気管を塞いだことによる窒息だったそうです。正直、恐怖を感じました。

 

私のがんは、気管原発ですでに10㎝に成長甲状腺声帯周辺まで広がっているがギリギリで外科手術は可能

 

但し、声、臭覚を失い、呼吸は胸に開けた「永久気管孔」という穴ですることになる。気管孔を作るために両鎖骨、第一第二肋骨、胸骨を切除。大胸筋を使って気管孔の補強。叫び

「好きな筋トレは厳しいだろう。好きなカラオケも歌えない、温泉、プールに入れない、おしゃべり好きな自分が話せなくなる、鼻をかめない、うがいが出来ない、息でろうそくを消せないなどなどの多くの障害が残る。叫び

 

そんな体で仕事に復帰できるのだろうか?」

 

様々な思いが頭を駆け巡りました。

 

一時は「そんな体で生きている意味があるのだろうか?」とも考えました。

 

そんな中で、私の背中を押してくれたのは家族であり友人たちでした。

 

そして、「生きる為の手術」を決断したものの、実際に手術出来るのは1か月先。

 

仕事の引継ぎ、身辺整理のことを考えると1か月というのはちょうどよかったのですが、今まで感じなかった体調不良が襲ってきました。

 

謎の頭痛、原因不明の背中痛、息苦しさ、「仕事の引継ぎで車の運転中に突然呼吸困難になるのではないだろうか?」という不安。

 

交通事故でも起こしたら大変です。避けられる運転は避け、何とか同僚への引継ぎ業務をこなしていきました。

そんな中で友人たちが私の声が無くなること、永遠の別れになるかもしれないことから、カラオケやランチ、ディナーへと誘ってくれて週末はスケジュールでいっぱいという状況でした。

 

土曜日の夜、友人の1人と新宿で待ち合わせたのですが、背中の痛みがきつく体調が優れません。しかし、もう待ち合わせ時間が迫っています。無理して出かけました。

 

会食が始まり体調の話をすると、その友人も過去にやはり腫瘍切除手術を受けた経験があり、手術の日を待つている間にやはり原因不明の背中痛に襲われ、検査の結果、手術への恐怖、ストレスが原因で胃潰瘍が出来ていたとの話を聞きました。不安で、不安で仕方なかったけど「最悪でも死ぬだけ。それ以上のことは起こらない。」と開き直ったことも話してくれました。

 

「きっと自分も手術待ちのストレスが原因なんだ。そう、最悪でも死ぬだけそれ以上のことは起こらない。」と言い聞かせました。するとどういうことか急に痛みが和らいできたのです。友人は心配して私の住む最寄り駅まで送ってくれたのですが、体調は明らかに出かける時より良くなっていたのです。

 

「ストレスで1日で胃に穴が開いた」という話を他人事のように聞いたことがありましたが、メンタルが体に与える影響の大きさを身をもって感じた日になりました。

 

それにしても単純な性格ですね。

 

そして、何とか引継ぎ業務を終え、激励会に参加しながら、入院の日を迎えたのです。

 

診察を受けたのは、東京銀座の「亀田京橋クリニック」だったのですが、外科手術は千葉県鴨川市の「亀田総合病院」と言う事で、入院前日に家族と共にキャリーバックを下げて鴨川のホテルに入り、翌日の入院に備えて「最後の晩餐」を楽しみました。