11月10日、最愛の母の8回目の命日。神戸の善光寺さんへお参りに行ってきました。(高倉健さんと同じ日、ほぼ同時刻に逝きました。)

 

 

2014年11月10日、私は栃木県宇都宮へ出張中。展示会の最終日を終えて荷物を積み込み、翌日の移動に備えてホテルにチェックインした直後に「母危篤」のメールが。

 

急遽、翌日のアポをキャンセルし、展示会用品を積み込んだ車で自宅のある埼玉に戻ったのですが、すでに母の入院する神戸に向かう新幹線も高速バスも終わって間に合わない。

そのまま車で埼玉から神戸に向かう準備をしていたのです。

 

その時、当時神戸の「六甲病院」の母の主治医であった関本剛先生と電話がつながりました。私が「今から車でそちらに向かいます。明け方には着くと思いますので。」と言うと、「お母さんはすでにチアノーゼが出ています。おそらく朝までもたないでしょう。危ないので今から車で夜道を遠距離運転して来るのはやめてください。手を握って見送るだけが見送りではありませんよ。」と諭してくださいました。

 

その2時間後の午前2時過ぎに「亡くなりました」との連絡をいただき、翌朝の一番電車で神戸に向かい冷たくなった母と対面しました。

 

あれから8年。その1年半後に父が逝去し、その翌年からの5年間は私自身がステージⅣの気管腺様嚢胞癌との闘いの日々でした。

 

ついこの間のような、遠い昔のことのような不思議な感覚です。

 

亡くなる2年前。母から「内孫が女の子だし、いずれお嫁に行ったら墓守をさせるのは忍びない。「墓終い」をして「永代供養」にしようと思うがどうか?」との相談を受け、一緒に「善光寺」さんに見学に行き決めたのです。

 

両親が亡くなった翌年に私自身ががんで余命宣告を受けたことから間違った選択ではなかったと思っています。

 

母の主治医であった関本剛先生自身も2019年に肺がんで余命2年と宣告を受け、今年4月に亡くなられました。亡くなられる1か月前まで緩和ケアのお仕事をされていたそうです。何故、良い人が必要な人がこんなに早く逝ってしまうのでしょう。

 

善光寺からの帰宅後、偶然YOUTUBEでMBSテレビ「よんチャンTV」の関本先生の特集を見つけました。

 

母の看取りの際は本当にありがとうございました。先生のお言葉忘れません。

 

 

45歳で死去した緩和ケア医『がんと闘いながら亡くなる1か月前まで患者に寄り添う』...看取った母が 「わかった」患者家族の気持ち 緩和ケア医親子の2年間

(2022年10月13日)

 

 

【今朝の筋トレ】