『太平天国』10 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

『太平天国』を読み終える。

最後少し先を急いだ感じだが、返却期限が迫っているし、流石に何度も借り出し延長は出来ない。それに読むべき本は他にもある。この作家の本で他に読みたいものがあるが、しばらく遠ざかる予定。読み出すと他のものが読めない。この本も3年間にわたる連載だったとか、そのくらいのスピードの方が楽しめる気もする(笑)

それは兎も角、最後の方は、南京に都を決めてからは舞台がそこでの内紛、陰謀、虐殺の話ばかりで、北伐はあるにしても歴史的背景についての記述は少なく個人的には面白くなかった。

最後の「対談」のところで何故、太平天国がそれだけの人間を集めたのかという問いについて別の側面を知る記述がある。先にも述べたように、これは宗教戦争であると共に民族紛争の側面もあった。それは単に漢民族と満州民族というだけでなく、洪秀全が客家だった事が大きい。即ち、金田村蜂起をした前の年、広西地帯は凶作に襲われ、それがきっかけで械闘(かいとう)が起こったとか。「械闘」とは先住民族と客家との土地争いで、これで人数の少ない客家が破れ3000人の客家が土地を奪われたとか。これが太平天国の核となったらしい。p778 成る程と思う。



<数字でナンボがミッション達成の鍵>
今日から温水器の温度を43度から41度に落とす。特に「温い」とは感じない。これは外気が暖かくなってきたから。次は太陽熱温水器への切り替え。

去年11月5日に本格的にガス湯沸かしに切り替えた。それから6ヶ月弱。去年は5月2日より太陽熱に切り替えた。ほぼ半年間は温水は太陽熱利用。
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電気、ガスともに2011年から最大6~7割削減に成功した。現在は7~8割だが、これはリタイヤして自宅にいる時間が長くなったので仕方ない。省エネは数字で示そう! 炭素ゼロも夢ではない。いや是非とも達成しないといけないミッション!



『太平天国』10
上海県城での蜂起は簡単に終わったようだ。理由は内通した700人の広東兵がいて、小刀会の600の兵と共に蜂起した。p563 また当日は孔子廟で儀式が行われる日を選び知県他の官僚がそれに出席する予定だったので制圧は簡単だった。p564

ただし、内通した2つのグループ、闽帮,澳帮(福州と広東グループ)の対立がその後の運命を決める。p572 

南京で太平天国は科挙を行い、官僚を決めたという点もこの組織が伝統的皇帝制度を受け継ぐものだということを示す。p575

曽国藩は湖南の衡州で湘軍を組織したが、これは湘江沿で水軍が主体で、彼は懸命に船をつくった。それゆえ時間がかかった。p587 何しろ太平天国軍により湖北、湖南の船は岳州と武昌で根こそぎ、1万隻奪われていたから。

当時、黄河は渤海だけでなく黄海にも流れていたようだ。p597 

フランスが清朝に肩入れした理由の1つはカソリックの教義と太平天国の偶像否定が相入れなかったこと。事実太平天国軍はカトリック教会のマリア像やキリスト像を破壊した。p612 また政治的な理由として米英に比べ租界が狭く、利権も少なかったので中立よりは清朝に肩入れし、いずれ鎮圧後は利権を求めようとしたからとする。その意味では租界の外国勢力は一体ではなかった。

フランス租界は県城の横、共同租界との間にあった。その付近に立派なカトリック教会があったと記憶する。上海の黄浦江沿いは歩いて移動できる広さなので何度か歩き回った。当時はサルサバー探索も兼ねていたが。その時、イギリスがアヘン戦争後に建てた教会とは異なる構造のカトリック的な聖堂があったと記憶する。残念ながらその写真を残していない。

下のURLの写真はイギリスの教会。こうしたことを思うに、何らかの形で写真を残しておくことは重要だと感じる。その時は大した意味を感じなくとも後で重要な記録になる事が多い。
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