『中国文明史6、隋唐』3 | Hiroshiのブログ

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今日はダラダラと休日を過ごし、昼過ぎに気分転換にドライブ。途中、1箇所Caféに寄ってコーヒーと菓子パン。




『中国文明史6、隋唐』3
唐代より金銀が貨幣として使われるようになる。p141 この記述にペルシャやローマの金・銀貨という意味はなさそう。さらに飛銭(送金為替)と便換(為替手形)が加わる。ここまでくると中世の地中海世界と変わらなくなる。

揚州は長江と運河の交差点で経済の中心となる。物資が集積するだけでなく、産業も興る。敦煌の壁画には風力で河を遡る船が描かれている。これが海ではなく河だというのは江蘇省で発掘された当時の船に1本マストを持つものが見つかったことからも明らか、この場合の船の全長は18メートル。p158 

円仁の日記によれば、船が河を遡るときには水牛や人夫が綱で引いていたとのことだが、風があれば当然、帆船となって遡ったのだろう。それだけ運河の幅が広かったということかな? ここでの運河が円仁の目撃した幅6メートル程度の狭いものではなさそうだ。でないと危険で帆をあげられないだろうと思うがどうだろう? 因みに、海船になると巨大で長さ60メートル、積載量は1万石、600人程度の乗務員を乗せたとか驚きだ。p157
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インド由来の仏教は唐時代に中国化し、これが周辺国に広がったという。老子の姓は「李」だったので、唐の皇室も「李」姓。それで老子を始祖化した。p183 こうして唐代に道教と仏教がぶつかる背景ができたということかな? 確か武帝の時に円仁も被害を被った廃仏が起こる。
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<データーベース>
則天武后は科挙を積極的に活用したらしい。p171 それにより門閥貴族を排除しようとしたのだろう。p163 また彼女はあたらに流行した仏教も大事にした。これも彼女の策略なのかもしれない。いろいろ後世に悪い評判がたつが凄腕だったのは間違いない。