尾畠春夫さんを見よ! & 『中国人と書物』2 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

ある人のblogで現役引退に未練はないかというようなことを尋ねられた。答えは「今や全くない」むしろ此れからどうするかだ。それに関連して色々考えてみた。
https://ameblo.jp/nobodys-got-time/entry-12543132517.html



<行動経済学が示す、不都合な真実>
http://www.newsyataimura.com/yamamoto-9/#more-9657

行動経済学を一度はきちんと勉強しなければならないと感じている。人は合理的ではないことが多い。特に、「得をするよりも、損をしたくない思いが強い」という指摘は重要。男性は60歳代前半、女性は60歳代後半から死亡率が上昇するという。私はまさに死亡率立ち上がりの時点に今いる。

 


だから、60歳時点で65歳の生存確率を見通すのと、65歳時点で70歳や75歳の生存確率を見通すのを比べれば、個人にとっては後者の不確実性の方が高く感じられる。 著者が提言する「年金支給開始年齢の引き上げと定年制の廃止(または定年延長)を選択肢から外すべきではない」といいうのは同意できる。

さて、問題は自分自身の経済学だ(笑)。退職1年目は大いに貯蓄が減ったが2年目は殆ど変化ない。必要とされる老後の貯蓄には十分余裕。
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年金だけの生活はきびしいとマスコミは云う。ある番組では夫婦で1月35万円の生活費? 嘘だろう! 基本年金だけで生活できる自信は有る。不足の生活費を老後の貯蓄からと云う発想自体が大間違い!(断言)。貯蓄はあくまで車やリホーム、あるいは最後の介護関連の特別支出に備えるべき。
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老後の不安を利用しての悪徳商法は銀行を始め、いろいろなところからダイレクトメールが来ているが論外。銀行から個人情報が流れていないか?? 「不道徳な見えざる手」に誤魔化されないようにしよう。
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優雅なリタイヤ生活はいくらでもできる。今日も朝(庭で屋外読書)から晩まで(いつものスタバ)読書三昧。金の有る無しではない。 勉強は明日からかな?(汗)

 

あの「スーパーボランティア」の尾畠春夫さんを見よ! 貯金もゼロ。生活費は年金の月約5万5000円のみ。それでも人が羨む自由な生活を送っていらっしゃる。 同じようには難しいだろうが、できる限りで私もボランティア、機会があればやりたいと思う。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57178



『中国人と書物』2
あの『洛陽伽藍記』には字句の誤脱が多いらしい。p92
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朱子学は解釈、註釈学から天地の原理や実存的研究を中心に傾斜したというのはこれまで聞いていたことだが、それ故にこそ、自己の説に合うように経書を恣意的に読むこともあったらしい。それは何となく解る。p93

現在の書物は本文の後に、註釈が付いているが、元々の形式では本文と註釈は別々の本だったとか。p98 しかしこの形式がたとえ古来からのものだとしてもとても不便なのは『エリュトゥーラ海案内記』で経験済み。
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中国の書物は清朝末まで句読点が書かれていなかったらしい。p112 確かに古文では漢文に返り点をつけて呼んでいたね。中国人はもしそうしなかったとしたら大変だったろうし、区切り方1つで意味が変わる場合がるので問題だ。

『中国書源流』という本を引用して、「出土した殷代の甲骨には紐で繋げるためと思われる穴が空いている」ので「冊」の起源はこうした甲骨の保存形状にあったと著者は言う、p120 事実そうした穴がある甲骨はあるようだが、この推測が正しいかどうかははっきりしないようだ。
https://ameblo.jp/xuzhoumeso/entry-12540730386.html#cbox

西欧中世でもそうだが、中国中世でも著作権という概念はない、既にある書物に後の人が書き加えたり、書き直したりすることが普通にあったようだ。p144 それが、中国における「偽書」の問題の背景にある。なお、西欧の場合、昔の権威ある人の名前で出す方が信頼性が高まるということで自分の本に過去の偉人を著者として書き込むこともあったとか。

それでも宋代になると偽書に対する警戒心は高まったらしい。p153 そうした偽書判別の結果、明代の胡応麟は古典の7割が偽書だと述べたとか。p154 しかし著者は先に述べた背景から偽書を全面的に否定すれば中国の書物文化自体を否定することになると述べる。p156 それはよくわかる。現代人の感覚、価値観で決めてしまうのは問題。

蔵書楼の代表としてあの寧波の天一閣が紹介されていた。訪問した当時は何も知らなかったので、得るものが少なかった残念なことだ。
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ここでは湿気を避けるため書籍は2階に保存し、夜は入室禁止、タバコ禁止、さらに子孫それぞれに別々の鍵を与え、全員が揃わないと扉を開くことができないしきたりまであったとか!それゆえ、明代から現代まで400年一度も火事に遭わなかったとも。p177 
あの庭の広い池も防火のためだと知ったのは随分後井波律子氏の著書でのこと。
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最後の終章で著者は「焚書」と「集書」は中国の書物文化の根底にあり、思想統制や文化発展に大きな影響を与えという。p203

その意味ではそのパターンは現代の政権にも受け継がれているということか?