【とある土曜日の朝】

 

弁護士1年生のとある金曜日、私は次の日が休みなのをよいことに、仕事が終わってから行きつけの飲み屋でしこたま飲んで午前様で帰宅。

 

当然、翌土曜日の朝は爆睡状態であった。

 

朝の8時頃、突然所属事務所の当時のボス、柴田五郎弁護士から電話で起こされた。

 

「ちょっと力仕事になる倒産事件を受けた、今からすぐに現場に来なさい。」

 

私は激しい二日酔い状態のまま、シャワーを浴び、すぐに着替えて家を出た。

 

【力仕事】

 

現場である会社に着くと、そこは会社役員や従業員が集まり、騒然としていた。

 

夜中に突然とある債権者の襲撃を受け、顧客名簿などを持ち出されたという。

 

柴田弁護士は現場でテキパキと指示を出していた。

 

この業界で「力仕事」とは、もちろん肉体労働を意味するものではないが、ちょっとやっかいで体力、気力、精神力その他さまざまな労力を使う仕事をいう。

 

たとえていえば、こうしたドタバタ倒産事件、ストライキなどを伴う激しい労使紛争、相手方に反社会的勢力が絡んでいるような事件などが典型例だ。

 

誤解を怖れずにいえば、柴田弁護士はこの「力仕事」が大好きだった。

 

当時、柴田弁護士はもう60代後半で、普段はとても穏やかで、「老兵はそろそろ、若い人にお任せ」などと言っていた。

 

ところが、こうした「力仕事」の依頼が来ると、人が変わったようになる。

 

そこにはいつもの好々爺の姿はなく、その勇猛果敢な指揮官ぶりをいかんなく発揮するのであった。

 

【その経歴と事務所の設立】

 

柴田弁護士は山形県に生まれ、苦学して働きながら夜間高校に通い、中央大学法学部の夜間部に進学

 

大学時代は、配達やタクシー運転手などいろいろな仕事をしながら、趣味のバイクを乗り回し、カミナリ族といわれたらしい。

 

卒業前に一念発起して司法試験に挑戦することを決意し、短期間で見事に合格し、弁護士となった。

 

弁護士になってからは、数々の激しい労使紛争などに、労働者側の弁護士として活躍した。

 

再審無罪が確定したえん罪事件である布川事件は、柴田弁護士のライフワークで、弁護団長を務めていた。

 

私が所属する渋谷共同法律事務所は、柴田弁護士が、1976年に故坂本福子弁護士と共同で創立した事務所である。

 

私は、2004年に事務所に入所してから、10年ちょっと柴田弁護士のお世話になった。

 

【その仕事ぶり】

 

「弁護士は足で仕事をする」

 

これが柴田弁護士の信念であり、私の大好きな言葉だ。

 

これは、弁護士というものは、事務所の中にこもって書類仕事だけをしていてはダメだということを意味する。

 

柴田弁護士は、依頼を受けた事件について、必要であればきちんと現場に足を運ぶということを徹底していた。

 

新人時代の私も、何度か柴田弁護士に連れられて現地調査に赴いた。

 

また、事務所の創立者ということもあり、事務所を支えるための経済観念はものすごくしっかりしていた。

 

これも誤解をおそれずに言えば、費用はしっかりもらう、その代わり頼まれて受けた仕事は徹底的にやる、というスタンスだった。

 

そして、攻めと守りのメリハリが実に的確だった。

 

豪放磊落、大胆に事件を進めるときもあるが、その反面、守りを固めるべき所は実に緻密かつ繊細だった。

 

表面的にはとっつきにくいところもなくななく、そのために「怖い」と思われるときもあった。

 

しかし、歳をとっても偉ぶったり大物ぶったり金持ちぶったりすることは一切なかった。

 

いつでも現場に向かえるように、赤いリュックを背負い、スニーカーを履いていた

 

そんな姿がとても格好良かった。

 

柴田弁護士は、私にとっての弁護士の理想像の1人であり、私も歳をとったらこのような人物になりたいと思っている。

 

【最後の思い出】

 

柴田弁護士の晩年は、奥様を早くに亡くされたが、大勢のお孫さんに慕われていた。

 

2011年にご自身が弁護団長を務めていた布川事件の再審無罪が確定し、2013年には事務所の共同経営者としてずっと支えてきた坂本福子弁護士が亡くなった。

 

この頃を境に、柴田弁護士はめっきりと仕事を減らし、事務所にもあまり来なくなってしまった。

 

自分のやるべきことは終わった、そんな達成感・安堵感があったのかもしれない。

 

どうも自宅で朝からお酒を飲んでいるらしい、そんな噂も聞こえてきた。

 

ご家族の話では、少し認知症の症状も出てきているとのことで、残念ではあるが、弁護士廃業、施設入所が決まった。

 

2016年の年末、うちの事務所では久しぶりに柴田弁護士とその娘さんをお呼びして忘年会を開催した。

 

結局、それが柴田弁護士と会った最後になってしまった。

 

2017年の3月に柴田弁護士は弁護士登録を抹消し、施設に入った

 

そのうち落ち着いたらみんなで会いにいきたい、そんなことを考えている矢先であった。

 

2017年8月のある朝、私は事務所の先輩弁護士から、柴田弁護士が亡くなったという連絡を受けた

 

突然の悲報に私はとても驚いた。

 

実は、この日の朝は、もう1つ大きな事件があった。

 

それは、当時1歳4ヶ月だった私の息子が初めて歩いたのだ。

 

しかも、私がその瞬間を目撃した。

 

何か、柴田先生との浅からぬ因果を感じずにはいられない。

 

柴田先生が亡くなったとき、私は柴田先生に誓ったことがある。

 

それは、柴田先生が作ったこの事務所を、私たち後輩が必ず守り抜くということだ。

 

あれから、事務所はいろいろと大きな難局にぶつかっている。

 

今も、まだその影響は続いており、いろいろと厳しい状況は続いている。

 

しかし、こんなときだからこそ、私は上記の柴田先生との誓いを忘れないでがんばっていきたい。