昨夜から今朝にかけて、台所に立って料理を作った。

  昨夜はカレーライスとニラ玉、今朝は味噌汁だ。

  料理をしていると、仕事や生活に疲れた心と体が癒やされる。

  昨今、スーパーで食材の買い物をしていると、どうしても産地が気になってしまう。

  そして、申し訳ないが、福島県産の農産物は買わないようにしている。

  こういうことを書くと、様々な人たちを敵に回す可能性があることは承知の上である。

  必死になって福島の農業の再生のために努力している人たちの苦労を顧みない発言であり、こうした発言は風評被害を助長し、福島の復興を妨げるものだと。

  風評被害とは、間違った情報や意図的なデマだけでなく、根拠の不確かな噂やあいまいな情報をきっかけに生じる経済的損害のことで、具体的には、物やサービスの売上げ不振や輸出停止のほか、観光客減少などの被害のことをいうとされる。

  しかし、現状では、福島県産の農産物が安全であるという保証はない。

  福島原発事故の裁判に携わっている私は、国や自治体、電力会社が流す安全神話がいかにいい加減なものであるかがよく分かっている。

  地元の新聞には、今でも食品等の放射線検査の結果、基準値を超える放射性物質が検出された旨の記事が出ている。

  そして、食品の放射線検査をしているといっても、全品検査を行っているわけではない(それは物理的に不可能)。

  その上、放射線の被害は科学的に未解明であり、低線量の被ばくであっても、将来の健康被害のリスクは未知数である。

  つまり、福島県産の農産物を避けるということは、必ずしも科学的に明確でない放射性物質による汚染の危険を回避するための行動であって、正当なものである。

  このような正当な行動に対して、本来風評被害などという表現を用いるべきではない。

  福島原発事故の被害論に詳しい、大阪市立大学大学院経営学研究科教授の除本理史(よけもとまさふみ)氏は、「『風評被害』という語は、本来は無害とされるものを、消費者が回避する状況への非難性を含んでいるため、原発事故を引き起こした加害者を抜きにして、それ以外の主体どうしを対立させる方向に作用する。」と指摘する(「福島原発事故 賠償の研究」(淡路剛久・吉村良一・除本理史編、日本評論社・40頁)。

  極めて鋭い指摘である。

  地元の福島県では、自治体をあげて農産物の安全キャンペーンを行っている。

  そこでは、地産地消が謳われ、子どもの学校給食で地元の農産物が出され、地元の農産物について疑問を差し挟むことを到底許さないような空気があるという。

  この点に関しても、先の除本氏は次のように指摘する。

  「基準値内であってもその健康影響を懸念する人はいるのだが、評価の異なる他者(しばしば家族である場合もある)との対立を避け、あるいは『風評被害』を懸念して、口を閉ざす傾向がある。」

  「つまり、被害を語ることへの自制と抑制が生み出され、被害地域に閉塞感をもたらすのである。これによって全国的にみれば、事故被害の忘却・風化が進む可能性すらある。」

  私のような人間を含めて、福島県産の農産物を避ける人がいることによって、いわゆる「風評被害」が発生し、福島県の農業が打撃を受ける、地域の復興が遅れるといった被害が発生するかも知れない。

  しかし、それはまさしくあの福島原発事故による被害そのものなのである。

  その被害の責任は、福島県産の農産物を避ける消費者にあるのではない。

  その責任は、加害者である東京電力、そして電力会社と癒着してこれまで原発推進政策を進めてきた国にあるのだ。

  「風評被害」という言葉は、その被害と加害の構造の本質から目をそらさせ、逆に被害者同士を分断させ、対立に持ち込むマジックなのである。

  騙されてはいけない。