4月6日~7日で、また恒例の岩手県大船渡の被災者法律相談に行って来た。


 今回のメンバーは、同じヒューマンライツ・ナウ震災プロジェクトチームのメンバーで、大手渉外法律事務所の若手であるN弁護士と、昔からの島仲間であるI税理士の3人であった。


 新幹線で一ノ関まで行き、そこからレンタカーで沿岸部の大船渡に向かう。その場合、大きく言って次の2つのルートがある。①は、山間部を通って陸前高田市に抜け、そこから大船渡に向かうコース。②は、山間部を避けて気仙沼まで迂回し、そこから陸前高田→大船渡と向かうコース。①の方が距離も短く近道ではあるが、冬場は山間部は雪が凄いため、どうしても②の気仙沼迂回コースを通らざるを得ない。しかし、今回はようやく雪が溶け、①の近道コースで行くことができた。


 相談会場の盛駅に着くと、そこは今までとは雰囲気が一変していた。そう、4月3日より、念願の三陸鉄道南リアス線が一部復旧となったのだ(盛~吉浜間)。また、JRも、気仙沼からのバスが運行していた。そんなわけで、駅周辺には人も多く、とても活気があった。


 当たり前だが、やはり駅というものは、列車が走ってこそ意味がある。あの震災が起きてから、2年以上たって、ようやく一部とはいえ悲願の列車が復旧したのだ。地元の人たちの喜びの大きさが伝わってくる。これが真の意味での復興の大きな一歩となることを願う。


 というわけで、せっかく復旧した三陸鉄道に乗らない手はない。6日午後の相談会が終了した後、早速我々3人で盛から吉浜までの往復で南リアス線に乗ることができた。盛駅ふれあい待合室のYさん(女性)がたまたま同じ列車に乗り合わせており、我々にいろいろガイドをして下さった。海沿いのコースを走る列車の車窓からは、破壊された防潮堤などの痛々しい津波被害の傷跡の光景が見えた。今回の津波の威力の凄まじさを改めて実感した。Yさんの自宅は山側にあり、津波被害は免れたが、沿岸部に住んでいた友人などとはしばらく連絡が取れなかったという。
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 夜は、例によって男3人でまた大船渡復興屋台村に繰り出した。2軒目で私の行きつけの店に行き、秋刀魚やめかぶ、わかめの茎などを出してもらったが、とても美味しかった。この店には、我々の他に、新潟から来たという工事関係者の人や、静岡からボランティアできているという人などがいて、みんなで大いに盛り上がった。


 翌7日午前中は、悪天候のため、相談者の都合により予約がキャンセルとなってしまった。そこで、夢ネット大船渡の岩城さんに連れられ、大船渡復興商店街を訪問した。ここは、津波被害に遭った大船渡駅周辺で商店を経営していた人たちが集まって、仮設店舗を営業している商店街だ。岩城さんは、大船渡で約20年ほど市議会議員をやっており、地元でとても顔が広い。お店の方々の好意により、今度イベントなどがあった場合、仮設店舗の1つを貸してもらい、無料法律相談のブースを出さしていただける話になった。とてもありがたい。
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 午後は、宮城県気仙沼市で相談会があるため、大船渡から自動車で気仙沼に向かった。途中で陸前高田市を通るのだが、移設された奇跡の一本松を見学してきた。初めて陸前高田の津波被害を見たときの衝撃は今でも忘れられないが、現在もほとんど光景は変わらない。単に瓦礫が片付けられたというだけで、復興が進んでいる雰囲気は全く感じられない。大船渡とは違い、街全体が破壊されてしまった陸前高田の被害の大きさを感じずにはいられない。天候が悪かったせいもあり、一本松の光景もとても寂しげだった。
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 午後は、気仙沼市内の反松公園仮設住宅で相談会を行った。ここでの相談会は、昨年12月、今年の2月に引き続いて3回目となる。今回は合計して4~5人の相談者が訪れた。もちろん相談内容などはここでは書けないが、震災に絡んでかなり深刻な相談もあった。やはりまだまだ震災関連の相談需要はある。ここの世話役の人からも、今後も継続して相談会を続けてほしいと要請をいただいた。嬉しい限りだ。


 今回は、最後にハプニングがあった。帰りの新幹線が強風のため福島駅で足止めを食い、何と福島駅でそのまま3時間程度停車してしまった。6時過ぎに一ノ関を出る新幹線に乗ったのだが、東京駅に着いたのは日付が変わった午前零時過ぎだった(>_<)


 いろいろあったが、今回も充実していた。今後も地道に被災地に通い続けたいと思う。震災は決してまだ終わっていない。