3.11 福島から東京へ/山吹書店
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 あの震災からちょうど1週間後の平成23年3月18日、私の長年の友人であり、ホームレス問題で著明なG司法書士による1本の連絡からすべてが始まった。


 数日前より、埼玉県がイベント施設であるさいたまスーパーアリーナを避難所として施設を開放し、そこに福島県からの避難者が続々と集まっている。そのさいたまスーパーアリーナで、被災者のニーズ調査を開始しているが人出が足りない、時間があったら現地に応援に入ってくれないかというものだった。


 私はその連絡を受けて、何かに突き動かされるようにしてさいたまスーパーアリーナの現地に走った。いざさいたまスーパーアリーナ、あれがすべての始まりだった。


 さいたまスーパーアリーナは、イベントホールを丸く囲むらせんの「廊下部分」が避難所として開放されていたのであるが、その「廊下部分」には所狭しと段ボールでとりあえずの床と囲いを作り、毛布や食料などを置いている避難者で、4階5階部分まで埋め尽くされていた。生まれが初めて目の当たりにするその「避難所」の光景はまさに異様であった。


 現地には、すでに知人や顔見知りの弁護士や司法書士などが何人も駆けつけていた。すぐに調査票と筆記用具だけ持ってニーズ調査を開始した。「廊下部分」の避難所には、数々の避難者やボランティアグループのメンバー、行政の職員など多数の人間が行き来していた。段ボールの床と囲いだけの、外から丸見えのとりあえずの住居を構えた避難者は、毛布をかけて寝そべっている人、食事をしている人、知人と談笑している人など様々であったが、こうした避難者1人1人に順々に声をかけていった。


 翌3月19日、東京都内にも味の素スタジアムや東京武道館などが避難者向けに開放されていたことから、東京でも被災者支援団体を結成する必要性が議論され、主にG司法書士らを中心に法律家、支援者らで「東京災害支援ネット(とすねっと)」が結成された。私も微力ながらその活動の末席に加わることとなった。


 その後私たちは、避難所となっていた味の素スタジアム、東京武道館、旧赤坂プリンスホテルなどに通うことになる。結成されたばかりの「とすねっと」は、2日から3日おきに事務局会議が開催され、日々刻々変化する避難者の情勢や今後の支援についての議論がなされた。参加者の日程の都合から、日曜日の夜に事務局会議が開催されることもあり、1回の会議が3時間、4時間に及ぶこともあった。


 会議が終わると一杯飲んでクールダウンすることも忘れない。しかし、みんな酒を飲んでも話題は「被災者支援」の話で持ちきりであった。私もそんな「熱い」仲間たちに引っ張られながら活動を続けてきた。


 平成23年5月頃からは、「とすねっと」に所属していた聖公会のボランティア団体のメンバーが、毎週水曜日に日帰りで自動車で福島県いわき市の避難所を訪問しており、「とすねっと」に所属する弁護士や司法書士らもこれに同行することになった。


 このときは、いわき市中心部にある平体育館や高久公民館、小名浜公民館、勿来地区にある南の森スポーツセンターなどの避難所(当時)に通った。また、平地区にあるインド料理店の方の協力を得て、お店の中で被災者を対象にした法律相談会を開催したこともあった。


 1日で様々な避難所を周り、東京に帰ってくるのが夜の12時を過ぎているということも珍しくなかった。


 避難所が閉鎖されて、仮設住宅が建設されてからは、仮設住宅の集会所などでカフェを開催し、そこで法律相談を受けるというスタイルになって、現在も細々とではあるが続いている。


 先日、久しぶりにこの「とすねっと」の活動でいわき市の仮設住宅を訪問した。ここは楢葉町からの避難者が集団で居住している仮設住宅である。カフェは、避難者同士の重要な交流の場となっており、みなここで長引く避難生活の傷を癒し合っている。法律相談そのものはそれほど多くないが、避難者の方と何気ない雑談をしている中から重要な法律的問題が発見されることもある。


 このように、「とすねっと」は私の被災者支援活動の原点である。微力ではあるが、これからも「とすねっと」での活動を続けていきたい。


 この度、私たち「とすねっと」のこれまでの活動の記録が1冊の本にまとめられ、発売されることになった。冒頭の「福島から東京へ 広域避難者たちと歩む」(山吹書店)がそれである。私も一部ではあるが執筆している。関心のある方は是非お買い求め下さい!