今、とてつもない発見したので、
無心でキーボードをたたいている。
端的にいうと、妄想遊びをしていて
とあるビッグアーティストの事務所からコラボ依頼が来た時の
自分の返信がタイトルの言葉だった。
「自分は勿論OKなのだが、このコラボの提案は事務所の意向なのか、
それともアーティスト自身の意志なのかを聞きたい。
何故ならばもしそれがアーティスト自身の意志ではないのであれば、
作品に魂が宿らなければ命は吹き込まれなくなる。
つまり、コラボをしても作品はバズらなくなるからだ。」
と答えた。
いつも思うことなのだが、
世の中のノウハウはいつも後だしジャンケンだ。
バズった現象を検証して、
法則性を見つけてノウハウに変える。
その内ノウハウの中で純度の高いモノが残り
やがてそれがメソッドとして体系化されていく。
そして、時代の変化と伴ってそのメソッドは通用しなくなり、
新たなトレンドを見つけては再び同じサイクルが繰り返されていく。
であるならば、繰り返される変化を追いかけるのではなく、
常に動かない本質を追求した方が確実なのは明白ではないだろうか?
なので、バズらせたいのならバズる本質を見るのが最も早い。
端的にいうと「養分」だ。
よくいうだろ。
「この作品でしか摂取できない養分がある」と。
この養分は何かというと、
言葉を変えると「バイヴス」というモノだ。
バイヴスとはバイブレーションの事で
つまりは振動数の事だが、そこは重要ではない。
確かに振動数が同じ同士が共鳴し、
それによって現象が広がっていく。
だが今言いたいのはそれではない。
このバイヴス、日本語に言い換えると
実は「ノリ」だ。
ノリで物事しゃべんな!の「あのノリ」なのだ。
なんやお前ノリ悪いな!の「あのノリ」なのだ。
この「ノリ」には膨大な情報が内包されている。
この「ノリ」を失うと全て失う。
よくアマチュアだったアーティストがメジャーにいったら
ファンがみんな離れて行くあの現象、
あれはまさしく「ノリ」が変わったからだ。
同じジャンルで同じ表現技法、同じ人が歌っている。
だけどメジャーに上がる事で意識が変化したり、
事務所や大人の意図が介入したりとかして、
「ノリ」の
「バイヴス」の
「養分」の原材料である
「目的意識」が形変わってしまった結果、
ファンが求めていた養分を摂取できなくなった結果ほかならない。
つまりは価値観が変わると目的が変わり、
やりたい事が変わって養分も変わるから、
それを求める過去ターゲット層が離れ
新たな今の養分を欲しがるターゲット層に向けて活動をしないといけない訳だ。
さて、ようやく話は本題に入るのだが、
私自身が今スピリチュアルの発信がかなりスローペースだ。
それは、価値観が大きく変わり、
自分自身が元々出していた養分がなんだったのかを忘れてしまったからだ。
それなら今の自分に合った波長で
まったり発信したらいいかと思って、
今は無編集の動画を載せている。

だが、妄想遊びで浮かんだタイトルの文言☟
「作品に魂が宿らなければ命は吹き込まれない。」
そう、自分の養分を遠慮せずとことん出していけばよかったのだ。
そして、今までこの養分は「欲」と「感情」が入っているので、
否が応でも神智学でいうアストラル界の想念エネルギー「グラマー」が混入してしまう。
そもそも自我が混入している限り、必ず4種の幻惑のどれかは混ざってしまうのだが、
これまではそれが混ざってしまうのがいやというのもあって、
なるべく頑張って落ち着いた感じで発信しなければ!と思い込んでいることもあった。
だが、それはそれ、これはこれ。
この養分がなければ、引力は生まれない。
これは別の話になるが、
意識する場所に重力が生まれ、そしてそこにエネルギーは引き寄せられ現象が起きる。
それが丹田であり「氣」なのだが、それは別の話。
とにかく、養分は大事であり、
バズる本質という事だ。
そして、それをやる事は、神智学のソレに反しないという明確な気づきによって
今私はようやく安堵できた...というのがこの投稿の着地点である。
私は恐れていた。
スピリチュアルを発信している者が、
アストラル界の想念エネルギーを纏って発信する事を。
そんな無責任で不誠実な事、出来るはずがない。
しかし、これとそれは別ものだと今なら分かる。
作品と教えは異なるモノだ。
娯楽と学びは異なるモノだ。
YoutubeやSNSは、そこまで100%正義でなくていい。
作品は作品として楽しんでいいんだ。
作品を通じて新しい世界を見せるのは
決して悪い事ではない。
何故なら私自身が無になる方法を知っており、
自分のファンのケアを私には出来るからだ。
洗脳や中毒ではなく「感動」を与える事は、
決して悪いことではない。
だから、自分が思った事をもっともっと思ったように伝えていいんだという、
開放的な気づきにようやくたどり着いたので、
将来の自分の為にも、
ここにこの大事な瞬間を残す。
さて、次の撮影が楽しみだ。