奴隷思考な人ほど「自己責任」という言葉を使います。 | 【神の叡智】ロゴス ブログ ~ Logos blog ~

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ちょっと話題になった投稿があります☟

 

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ようは、努力しない人に価値なしというモノです。

 

頑張れない人の理由を全て言い訳にし、精神論や根性論で片づけ、

努力をするかどうかで価値を見出そうとする人たちがいます。

 

このような方達を「奴隷」といいます。

 

もともとは戦後など、資源もお金もない中、

どうにか歯を食いしばって生きていかないと生きていけなかった時代だったからこそ、

 

根性で困難を乗り越える必要があった。

でも、本質を理解してほしい。

 

困難を乗り越えるのに必要なのは努力や苦労、根性ではありません。

「能力」なのです。

 

チカラさえあればどんな困難でも乗り越えられるとは言わないですが、

比較的に物事は簡単に解決する事が出来、精神的に余裕も生まれます。

 

チカラがあれば困らないのです。

 

踏ん張る気力や体力も勿論必要な時はありますが、

それは最後の最後、そうしないといけないという局面のみです。

 

本当に大事なのはそれをクリアする為の考えるチカラ、

その為には知識が必要であり、

その知識を実践する技術やスキルが必要なのです。

 

そして、多くの人は

「だからそのスキルを身に付けるのに努力がいるっていってるんだろーが」

というでしょうが、

 

そんな皆さんのお答えしましょう。

 

「技術やスキルは必ずしも努力しなくても手に入れる事ができます。」

 

もっというと、

 

「いつから努力や苦労しないと技術やスキルは身に付けられないと錯覚したのですか?」

 

頑張った対価としてお金が入るのが仕事だと思っている方もいると思いますが、

残念ながらそれも違います。

 

お金の対価は「感謝の気持ち」に比例して労力と引き換えに我々の手に返ってくるものが本来の形であり、

肉体的に頑張った対価のみで推し量れるものではありません。

 

そういう思考だからこそ、いかに安価で人を雇い、生産性を高めて儲けようとする心のない経営者が増えたり、

早く仕事を切り上げていく優秀は人材の悪口を叩き、足を引っ張る風潮が出来上がるのです。

 

貴方が赤ちゃんの時、

ハイハイから立つ、立つから歩く、歩くから走るのに努力しましたか?

 

努力と意識する間もなく、ただただ夢中でやっていたら

いつのまにか出来るようになっていた。

 

「好きこそ上手なれ」

これが本来の学びの形です。

 

そもそも何かをするときに体力以上に必要なのが気力ですが、

その気力がない人間に何かをさせる事自体が非常に無責任な事です。

 

何故それが無責任なのか?

自分の機嫌くらい自分が取らないで誰が取るのか?

と思うかもしれません。

 

では、そうお考えの皆さんは、

どうしてその人は自分の機嫌を自分で取れないのかを

考えた事はありますでしょうか?

 

自分の機嫌を自分で取れない、

気力がない、頑張れない、

 

誰しも必ず何かしらの理由があります。

勿論「単純に気分ではない」というのも立派な理由の一つです。

 

「気分」とは「気を分ける」と書きます。

つまりエネルギーをその行動に分けて使うのです。

 

でもエネルギーを使うにも、そもそもそのエネルギーがないのに

どうしてそれが出来るのでしょうか?

 

そして、それを「言い訳」だと追い込んだところで

そこから何かエネルギーが沸き上がるとでも思っているのでしょうか?

 

最も無責任なのが、追い込むだけ追い込み、それが原因で体調がさらに崩し、

 

前よりもさらに気力のない人間になった時に、

追い込んだ側は一切の責任を取らないし、取ろうとしません。

 

もしかしたらその人が無気力になった原因が

自分にある可能性もあるのにです。

 

では、何故彼らは自分の行動に対し責任を取らないのでしょうか?

 

それは、彼らも、彼らを今の形にしてしまった人に責任を取って貰っていないからです。

自分の責任にさせられてきたからです。

 

なので、彼らにはその発想しか浮かびませんし、

そのような選択しか出来ないのです。

 

そういった意味では、誰かに責任があるという事ではない!というのが本当の所なのです。

 

しかし、その結果、自分達のせいにされてきた人達が

「何が起きても自己責任だろ?」と常套句として人に使いながら、

自分が人にした事に対しては完全な無責任を貫きます。

 

では、どうしてそのような事がまかり通ってしますのでしょうか?

 

何故なら法律でそれを罰しないからです。

最近はパワハラなど、ハラスメントとしてようやく人々は認識し始めましたが、

 

弱者はいちいち訴える気力もなければ、

それを見ている周りも面倒事には巻き込まれたくないと思い、

 

結局誰も指摘しないので、

「自己責任警察」は今日も気ままに無責任にパトロールが出来てしまいます。

 

しかし、大変残念ながら、

もうこれから時代は変わります。

 

心を大事にする人間が増えます。

勿論経営者でもそうです。

 

稼げる人が大事にされるのではありません。

感謝出来る人が大事にされるのです。

 

人間性が最も人の価値として再認識される時代が来ます。

最後に、責任はどこから生まれるのでしょうか?

 

それは最初に「責任」という概念が頭に浮かんだ人の意識から生まれます。

 

罪もそうです。罪を持っている人はいません。

強いて言えば罪という概念を作った人に罪があります。

 

なので本来誰にも責任はありません。

強いて言えば責任という概念を作った人に責任があるのです。

 

この責任と罪という言葉や概念を常識として生きていく限り、

一生奴隷として生きていく事になるでしょう。

 

私は、それはゴメンです。

 

 

 

本日もお読み下さり有難う御座いました。

では、また!

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