まずは鶴林寺、官兵衛直筆の書状、信長や秀吉からの禁制の文書が残る寺院です。
ここでまた、この文字に出会ってしまいました。一隅を照らすと同じ意味だそうです。今年はこの言葉に縁があるようです。
次に教信寺。秀吉の播磨攻めの時に寺の東側にあった野口城へ僧兵を派遣した寺院。
中にはたくさんの桜の木がありました。加古川の桜の名所です。そして、もう一箇所、細い道に迷いながら、常楽寺へ行きました。
本堂を修理中でお参りできなくて残念でした。ここは神吉城があった場所です。
神吉城主神吉民部大輔頼定は1578年、羽柴秀吉の播磨攻めの時、約三万の大軍の包囲に対して、わずか千名ほどの城兵で果敢に抵抗し、何度も攻撃を撃退した。しかし、度重なる攻撃に、討ち死にし、ついに落城。一説によると、黒田官兵衛の養女が頼定の奥方だと言われている。
常楽寺の裏側に頼定の墓がありました。とても古い墓で細かい文字がいっぱい刻まれていました。
墓の前で、手を合わせていると、ヒゲを生やした武将の顔が目に浮かびました。若くて、男前でした。あれは誰だったのだろう?
この辺りには、黒田官兵衛にまつわる話があちこちにあるんだなと改めてびっくりです。