フラビオ・ブリアトーレ
前回あまたのF1関係者の中でも、
とびきりの美女を多くはべらす
「フラビオ・ブリアトーレ」について書きたいと思います。
「Flavio Briatore」
1950年4月12日生まれ
(59歳とは、思ったより若い・・・)
現ルノー・F1チームのマネージングディレクターであり、
富豪としても知られ、
「ミハエル・シューマッハ」や「フェルナンド・アロンソ」を
見出したやり手でもある。
イタリア出身のブリアトーレは、
若い頃にはスキー教習とレストラン経営に関わっており、
70年代(20代の頃)にはイタリアの株式市場で働いていた。
そこで、ベネトンの創業者である「ルチアーノ・ベネトン」と
運命的な出会いをする。
彼らはビジネス・パートナーとなり、
79年にベネトンが米国進出する際の責任者を務めた。
それからベネトンはブームを迎え、
米国店舗は10年で800店舗を数えるまでに急成長。
ブリアトーレは、フランチャイズ契約をする度に歩合をもらう契約を
ベネトンと交わしていた為に若くして彼は富豪になった。
ベネトンの急成長が一服すると、
88年ブリアトーレはベネトンのF1部門に関わるようになる。
コマーシャル・ディレクターに就任し、
前任者がクビになるとマネージング・ディレクターにおさまる。
ブリアトーレが手腕を見せたのは、
1991年にベルギーGPにスポット参戦した「ミハエル・シューマッハ」を
引き抜いた事に尽きる。
誰もが「ミハエル」の速さに驚いていたが、
実際にミハエルに接触し、彼とジョーダンとの契約の不備を知って
強引にチームに引き入れてしまう手腕は、
ビジネスの世界に生きてきた彼ならではのものだろう。
その後マシン・デザイナーの「ロリー・バーン」と
レース戦略家の「ロス・ブラウン」をそろえ
ベネトンは黄金時代を迎える。
94年、95年とベネトンは「ミハエル・シューマッハ」に
「ドライバーズ・チャンピオン」をもたらした。
しかし、96年に「ミハエル」がフェラーリに移籍すると、
「ロリー・バーン」、「ロス・ブラウン」のゴールデンチームも
後を追ってフェラーリに移籍してしまった。
ミハエルの代わりにベネトンに来たのは、
「ジャン・アレジ」と「ゲルハルト・ベルガー」の
フェラーリをお払い箱になった2人・・・。
この2人は既にドライバーとしての旬を過ぎており、
ベネトンは中位に沈むB級チームになり果てた。
97年にベネトンはフラビオを解雇し、
彼はチームを去ることになる。
98年カスタマー向けルノーV10エンジンの製造をおこなっていた
「メカクローム」と販売提携を結び、
99~00年にかけて「スーパーテック」の名で
ウィリアムズ、ベネトン、BAR、アロウズにエンジンを供給した。
00年ルノーがベネトンを買収してF1に復帰すると、
翌年ブリアトーレもマネージング・ディレクターになった。
そして、再び秘蔵っ子である「フェルナンド・アロンソ」が、
05年06年と連続してドライバーズ・チャンピオンに輝くことになる。
しかも、96年に彼の元を去った「ミハエル」とのタイトル争いという
因縁めいたものを感じさせる戦いだった。
(そして、06年シーズンを限りにミハエルはF1を引退する事になった)
ミハエルの活躍を見た為か、
フラビオは優秀な若いドライバーを早めに確保する事を始める。
94年にヨス・フェルスタッペンをマネジメントしたのを皮切りに、
フェルナンド・アロンソ、マーク・ウェーバー、ジャンカルロ・フィジケラ、
ヤルノ・トゥルーリ、ヘイキ・コバライネン、ネルソン・ピケJrらの
マネージメントを手がけている。
07年には、バーニー・エクレストンと共同で、
イングランドのサッカー・クラブ
「クイーンズ・パーク・レンジャーズ」を買収した。
ビジネスで成功し、
巨万の富を手に入れ、
世界の美女を手に入れた「フラビオ」
全くうらやましい人生である。