Kenny Roberts 伝説 | bigmokaruのブログ

Kenny Roberts 伝説

フレディーも好きでしたが、

この「ケニー・ロバーツ」も大好きでした。




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〇Kenny Roberts 1951年12月31日生まれ


この人も幼少からダート・トラック・レースで名をあげ

息子が余りにも有名で彼のお母さんが

「ケニー・ロバーツのお母さん」と

自分の名前を誰も覚えてくれず不満だったという話を

ケニーの本で昔読んだ。


〇1969年(18歳) オレゴン州 ダートトラック チャンピオン


〇1970年(19歳) AMAナショナル ノービス チャンピオン


〇1971年(20歳) AMAナショナル ジュニア チャンピオン


〇1972年(21歳) AMAナショナル エキスパート 4位


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〇1973年(22歳) AMAグランドナショナル選手権 史上最年少チャンピオン

             

〇1974年(23歳) AMAグランドナショナル選手権 チャンピオン

             WGP 250cc ランキング19位


〇1975年(24歳) AMAグランドナショナル選手権 2位


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〇1976年(25歳) AMAグランドナショナル選手権 3位


〇1977年(26歳) AMAグランドナショナル選手権 4位


〇1978年(27歳) WGP500cc 初参戦でチャンピオン獲得

             同250cc 4位

             デイトナ200マイル優勝


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〇1979年(28歳) WGP500cc チャンピオン

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〇1980年(29歳) WGP500cc チャンピオン


〇1981年(30歳) WGP500cc 3位


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〇1982年(31歳) WGP500cc 4位


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〇1983年(32歳) WGP500cc 2位

             デイトナ200マイル優勝

             WGPを引退


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〇1984年(33歳) デイトナ200マイル優勝


〇1985年(34歳) 鈴鹿8耐参戦


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〇1986年(35歳) 鈴鹿8耐参戦


★★★★★


ケニー・ロバーツは、本国アメリカで活躍した後、

78年にWGPに挑戦する。


当時のWGPはヨーロッパ・ライダーのもので、

アメリカン・ライダーで成功した者はいなかった。

しかし、ケニーは、持ち前のハード・ワークと向上心で

初挑戦でチャンピオンを獲得。

以来3年連続でタイトルを獲得した。


当時のヨーロッパでグランプリ・ライダーは、

アイドル的な存在で、

彼らはサーキットを後にするとホテルで

騒いだり楽しくやっていた。


ところがケニーは、モーター・ホームをサーキットに持ち込み

レース・ウィークにはサーキットを一歩も出ずレースに集中した。

当初は奇異に感じていた他のチームも、

ケニーが実績を上げるに連れ、

モーター・ホームをサーキットに持ち込む

現在のスタイルになった。


また、ライディングにおいても「リーン・ウィズ」が当時の主流だったが、

ケニーがマシンのイン側に腰を落とす「ハング・オン」スタイルで

快進撃をとげると、それがライディングの主流になった。


ケニー・ロバーツは、3年間でヨーロッパが本場のWGPを席巻し、

後のアメリカン・ライダーの躍進のさきがけとなった。


また、83年に32歳で引退したケニーだが、

実は離婚訴訟のもつれが皮肉にもその原因だったようだ。

83年当時、ロバーツ夫妻は、ダブル不倫の状況で

泥沼の離婚訴訟の真っ只中にあり、

夫婦で子供の親権を争っていた。


訴訟を有利に運ぶためには、

世界を回るWGP参加は不可能で、

彼は泣く泣くレースを引退する事に。


そう言えば、私が持っているDVDで、

「家族でヨーロッパに住めれば、レースを続けられるのに・・・」

と彼が言っていましたね。


身から出たさびとはいえ、3年連続のチャンピオンが

離婚訴訟で引退とは・・・。


その後、彼は「チーム・ロバーツ」を立ち上げ、

数々のチャンピオン・ライダーを生み出した。


特に息子の「ケニー・ロバーツJr」が500ccチャンピオンになり、

WGP界初の親子チャンピオンに輝いた。


ケニーのライディングは、文字通りの「人車一体」で、

フレディーがマシンを強引に振り回すのに比べ、

「馬なり」に走らせる印象。

本当に彼のライディングは「美しかった」。