甲子園への遺言 | bigmokaruのブログ

甲子園への遺言

先日再放送を観たドラマ「フルスイング」

原作本「甲子園への遺言」を手に入れました。


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「フルスイング」が高校教師になったところを中心に

物語が構成されていましたが、

「甲子園への遺言」は、かなり丁寧に高畠氏の

幼少の頃から人生の軌跡を追い、

高校教師についての記述はわずかでした。


ドラマは、原作本を下敷きにはしていますが、

かなり異なった視点で作られていたんですね。


だからと言ってこの本が面白くないわけではありません。

一人の野球少年が様々運命に翻弄されながらも

大好きな野球を通して人々に誠実に接していた姿が

描かれています。




高畠氏は、持ち前の根気で野球に打ち込み

バッティングの才能を開花させたが、

甲子園に出場することもかなわず。

中央大学に進学するまでは

世間の注目を集めることは無かった。


大学では早々レギュラーに昇格して活躍し、

卒業後は社会人野球(日鉱日立)へと進む。


社会人野球でもいきなり4番をまかされ

選抜社会人野球大会で、日鉱日立の

全国初制覇に貢献した。


その後ドラフト会議において高畠氏は、

南海ホークスに指名されプロ入りを果たす。


当時南海ホークスには、

捕手兼打撃コーチとして野村克也氏が

在籍していた。


力まかせと根性論に支配された

当時のプロ野球界において

南海ホークスは一風変わった球団だった。

南海では、当時の球団では珍しく専属のスコアラーがおり、

データを基にした近代的な野球を実践していた(いわゆるID野球)。

この事が、高畠氏のその後の人生に大きく影響を与えることになる。


しかし、期待されて入ったプロ野球の世界だが、

高畠氏は練習中の肩への怪我で

1年目から試練を迎える事となる。


皮肉な事にプロに入る前には

大きな怪我をしたことがなかった高畠氏だが、

憧れのプロになった途端に致命的な怪我を

抱えることとなった。


結局高畠氏は、この怪我が原因で

5年で現役生活を切り上げ、

28歳で打撃コーチに就任する。


実績も無い若いコーチとして就任した時の心境を

そして、長年コーチ業をしていた時の信条を

高畠氏は亡くなる3ヶ月前の講演で語っています。


「私はコーチになる時、よーし褒めまくってやろう、

選手を褒めて褒めて褒めまくってやろうと

思ったんですよ」


「プロ野球に入ってくる人間は、

必ずどこかにいいところがある。

人より優れたところがなければ

プロには入ってこられません。

だから私は、人より優れているその部分を

徹底して褒めようと思いました。

以降30年、私は一度も選手を怒らずに通してきました。

その方が選手ははるかに成長するからです。

だから、私のコーチ時代というのは、

本当に選手を褒めまくった30年だったと思います」


厳しい上下関係と有無をいわせぬ断定的な

指導が当たり前のプロ野球の世界で、

高畠氏は他のコーチとは全く異なるコーチング方法を採った。

高畠氏が多くの選手から慕われ、

師と仰がれたのは、卓抜した技術論と指導力があったから

だけではない。

このコーチング法と人柄によるところが大きかった。


「技術的なことで、その選手のバッティングに、

ある欠点があったとします。

しかし、ピッチャーがボールをリリースするところから、

バッターのミートポイントまで

距離はわずか約15メートルほどしかありません。

その短い距離をボールは0.4秒前後でやって来ます。

しかもプロの威力のあるボールが、

その間に沈んだり、食い込んできたり、

逃げていったりするんです。

そしてボール球は見逃し、

ストライクは打たなければならない。

プロ野球はそういう世界です。

その中で体が覚えてしまっている欠点を直そうとしたって

直るものではありません。

ああだこうだ、とコーチが言ったって直らないんです。

無駄な努力です。

コーチも直らない事がわかっていて、

パフォーマンスでやっているだけですよ。

自分は仕事をしているということを、

上にアピールしたいですからね。

だから長所を伸ばすんです。

欠点を直すのではなく、その選手が

他の選手より優れているところを

伸ばすことが重要なんです」


「最後は、精神的なもので勝負が決まるんです。

結局、その選手が生き残れるかどうかを決める最大の要素は、

精神力なんです。

たとえば、東京ドームとナゴヤドーム、福岡ドームを比べると、

左中間・右中間の深さが12メートルも違う。

東京ドームはそれだけ膨らみがなく、

狭いんですね。

つまり、東京ドームではホームランだった当たりが、

ナゴヤや福岡では、フェンス際で捕られてしまう。

それが原因でどんどんスランプになっていく選手がいる。

しかし、ここで落ち込んでそのままの選手は、そこまでなんです。

”よーし負けないぞ”という気持ちで、

もう一丁もう一丁と立ち向かう選手でなければ、

一流選手にはなれません。

そういう気持ちをつくりにはどうしたらいいんだと思って、

大学で心理学の勉強を始めたんです」

そして、心理学を学んだことが、

高畠氏を高校教師へと進ませることになる。


「心理学やカウンセリングの勉強をしていても、

正直、プロの選手達に役に立つことが

なかなか出てきませんでした。

そのかわり、子供達の教育に役立ちそうなヒントが

一杯出てきました。

自分の心の中に、子供達の生きる力を与える仕事が

できないだろうかという気持ちが芽生えてきたのです。

頑張ればきっと望みがかなうということを教えてやりたい、

という気持ちが次第に強くなっていったんです」


毎日1時間仕事の後でも教員試験の勉強を続け、

4年後にやっと終了した高畠氏は、

友人の口利きで筑紫台高校に教育実習に行き、

同校で自分が果たせなかった甲子園への道を

再び目指すことになったのです。


才能のある野球少年を一から教える事ができたら、

きっと素晴らしい選手を育てられる。

そう希望に燃えていた高畠氏ですが、

残念ながらその夢をかなえることはできませんでした。


しかし、高畠氏の教えを受けた多くの生徒が

影響を受けたことは紛れも無い事実です。

わずか一年の教師生活がこれほどの反響を生んでいるのは、

その証拠でしょう。

高畠氏の多くの教え子がプロの世界にはいますので、

その人のなかから高畠氏と同じ志を持った人が

出てくるかもしれません。


最後に高畠氏が言っていた

成長できる人の条件を紹介したいと思います。


伸びる人の共通点


1.素直であること

2.好奇心旺盛であること

3.忍耐力があり、あきらめないこと

4.準備を怠らないこと

5.几帳面であること

6.気配りができること

7.夢を持ち、目標を高く設定することができること