プロフェッショナル仕事の流儀 「平井伯昌氏」
「プロフェッショナル仕事の流儀」を
ご存知だろうか?

NHK総合で、毎週火曜日10時から
放送されています。
番組紹介によると、
「さまざまな分野の第一線で活躍中の
一流のプロの仕事を徹底的に掘り下げる
新しいドキュメンタリー番組」ということです。
私も毎週見てるんですけど、
見ると「オレも頑張らなくちゃなー」と
思わされます。
お勧めです!
今週は、あの「北島康介選手」の水泳コーチ
平井伯昌(ヒライ ノリマサ)氏でした。
水泳選手だったそうです。
小学校1年生で水泳を始め、
スイミングスクールに通った。
その後名門早稲田大学の
水泳部に入部したが、
3年生の時にコーチから
マネージャーをやってくれと
言われたそうです。
「選手としては必要ない」と
言われたようなもので、
悔しかったが、
コーチの言葉に従い
新人を教える役をになうようになった。
毎日練習メニューを考え、
泳ぎを見て気付いた点を
指摘した。
すると、新人のタイムが面白いように
伸びてきて、次第にコーチが
面白くなってきた。
1年後保険会社に就職が決まったが、
悩んだ末スイミング・クラブの
コーチになった。
いつか「オリンピック選手」を
育ててやろうと、
子供達に水泳を教えた。
暇を見つけては、有名コーチの
練習を見学して
指導法を懸命に学んだ。
コーチになって10年目、
平井氏は「北島康介選手」と出会う。
当時中学生の「北島選手」のタイムが
飛び抜けていたわけではないが、
北島選手の目を見て、
「真に強いものを持っている」と
思い彼に夢を託す事にした。
平井氏は周到な育成計画を立て、
北島選手に「攻める泳ぎ」を教えた。
平井氏の下、北島選手は
ぐんぐん記録を伸ばし、
〇2000年6月 日本選手権で優勝
北島選手は17歳で「シドニーオリンピック」の
出場権を手にする。
メダルも夢ではないと乗り込んだオリンピック。
しかし、オリンピック会場独特の雰囲気に呑まれ
平井氏は冷静さを失ってしまった。
北島選手に
「予選は軽めに泳いでもいい」と弱気を口にしてしまった。
結果は予選落ち。
平井氏は、自らの弱気が招いた結果だと、
北島選手に詫びた。
「絶対メダルを獲ってやる」
北島選手とリベンジを誓い
猛練習に励んだ。
〇2001年7月 世界選手権
100m決勝レース
今度は、前回の反省から北島選手に
レース直前まで、はっぱをかけ続けた。
しかし、前半の飛ばしすぎがたたって
後半ばててしまい結果は4位。
その日の夜、別のコーチが
平井氏の顔を見て、
「顔に欲が出すぎている。
それが選手に伝わり
プレッシャーになっている」
と言われてしまった。
平井氏はハッとなった。
冷静でいなければならないはずの
コーチの自分が、
選手と同じように熱くなって
レースに臨んでいた事に
気付いた。
その時コーチとして最も大切な事に気付いた
「選手より一歩先を歩く」
翌日の200m決勝
今度は冷静に対戦相手の選手を観察して、
作戦を練った。
北島選手に前半は体力を温存して、
後半にスパートをかける指示を出した。
そしてこう付け加えた。
「自分のレースをしよう
結果は後からついてくる」
レースは平井氏の予想通りの展開だった。
結果は「銅メダル」
コーチになって15年平井氏は
北島選手と共に
初めてメダルを手にした。
〇2004年8月アテネオリンピック
100m、200mで金メダルを獲得。
遂に世界の頂点に立った。
そして、2008年北京オリンピック・・・。
アテネオリンピックから
北京オリンピックまでの4年間。
北島選手の調子はよくなかった。
アテネオリンピックの金メダリスト、
「勝って当たり前」のプレッシャーから
逆に国内ですら勝てない時期があった。
また、故障も多かった。
北島選手の強力な泳ぎと精神力に
体がもたず練習すらままにならない
時期もあった。
北京オリンピックの一ヶ月前
心肺機能を鍛えるため
高地のアリゾナ州で合宿を行った。
平井氏は、ある考えを持っていた。
北島選手の200mは世界記録を出しており、
問題は100mだった。
同じ平泳ぎでも距離の違う100mと200mでは、
実は泳ぎ方が違う。
短距離の100mは早いピッチで泳ぎ、
距離の長い200mでは、ストロークを減らした
ゆっくりとした泳ぎ方になる。
平井氏は、北島選手の200mの泳ぎは
抵抗の少ない理想的な泳ぎ方だが、
この泳ぎを100mですればあるいは
タイムアップにつながるのでは?
と考えていたのだ。
ストロークのゆっくりした泳ぎでは、
使う筋肉が幅が広くなり、
疲労が溜まりにくい
100mでこの泳ぎをすれば、
最後のスパートに体力を
温存できるかもしれない。
そして、北京オリンピック
〇100m 予選
余裕を残して「59秒52」のタイム。
それでも、全体2位で準決勝に進んだ。
しかし、平井氏は全ての選手の泳ぎを見て
心配事があった。
最大のライバルと目された世界記録を持つ
「ブレンダン・ハンセン」は調子が悪そうだったが、
ノルウェーの新鋭「アクレサンダー・ダーレオーエン」
が、北島選手を上回る「59秒41」のタイムを出していた。
これは、北島選手の自己ベストよりも速いタイムだった。
〇100m 準決勝
北島選手は、「59秒55」で予選よりも
タイムを落としてしまった。
「ダーレオーエン」は、
更にタイムを縮め「59秒16」
世界記録まで100分の3に迫っていた。
それを見ていた北島選手、
「決勝は、世界記録ラインですね」と
覚悟を決めた。
平井氏は、準決勝で北島選手のタイムが
落ちたのは自分のせいだと思った。
レース前「ダーレオーエン」に
プレッシャーをかけようと
「タイムをあげていくぞ」
と北島選手に声をかけた。
それが、北島選手に力みを与え、
理想とする「ゆっくりした泳ぎ」が
出来なかった。
普段50m18ストロークのところ
19ストロークになり、
後半の伸びがなかった。
これは、致命傷になるかもしれない・・・。
平井氏はその晩寝付かれなかった。
〇100m決勝
準決勝の泳ぎを確認し、
本番前の練習で修正した。
平井氏は、決勝直前
「勇気を持って、ゆっくりいけ」
北島選手を送り出した。
100m決勝、北島選手はスタートが
決まりトップに並んだ。
落ち着いてゆっくりしたストロークで
泳いでいく。
平井氏はストロークをいつものように
数えた。50mのストローク数は16。
準決勝より、3つも少ない。
数え間違ったか?
しかし、平井氏は「勝利を確信」した。
ゆっくりしたストロークのまま
トップでターンを終えた北島選手は、
予想通り後半「爆発」した。
誰もが苦しい後半、
北島選手のスピードは落ちなかった。
「58秒91」
世界新記録だった。

北島選手は、平井コーチを信じ、
完璧な泳ぎで
2大会連続の金メダルを決めた。