Bigmama Words -8ページ目

九月になれば・・・

 今年の春だったでしょうか、「四月になれば」というタイトルの映画が上映されたような記憶があるのですが、「・・・になれば」って、ある意味とても便利な言葉ですよね。そこはかとない希望をこめて、「・・・になれば」と呟いただけで、なにかが変わりそうな気がするというわけで、「九月になれば」、いくらか涼しくなると期待していたのですが、大型台風の襲来でそれどころではありませんでした。ニュースで報じられる被害の大きさに、思わずため息が出てしまいます。本当に日本は災害列島だと、あらためて思い知らされています。去年もそう思ったのに、今年もまた、です。でも、嘆いてばかりもいられません。目の前のことをひとつづつ片付けて、前へ進むしかなさそうです。

映画「十三人の刺客」を少しだけ見て

 昨日の夜、連れ合いが昼間BS3チャンネルで放送された映画「十三人の刺客」を録画してあったのを見ていたのを、横から見るともなしに見ていました。昔、その作品が封切りされたときにリアルタイムで見て、ラストのチャンバラシーンにとても感動した覚えがあったのです。ちょっと異常性格で暗殺される殿様を演じた菅貫太郎と片岡千恵蔵が出ていたことは記憶に残っているのですが、それ以外は何も覚えていません。というわけで、横目でチラチラ見ているうちに、里見浩太朗が、月形龍之介が、内田良平が、「えっ、嵐寛十郎が」と驚いたほど、子供の頃から東映映画で見慣れた顔が続々と出てきて、画面から目が離せなくなりました。私が見たのは後半の一時間ほどでしたが、それでもチャンバラ映画の面白さを堪能しました。

 見終わって、連れ合いと顔を見合わせ、思わず、「すごい映画!」とつぶやいてしまいましたが、今と違って、本当に丁寧に作られているのに感心しました。

 あの頃(1963年)、この映画が製作された時はすでに映画産業の斜陽化が始まったと言われていた頃です。私自身も東映の映画を見るよりは、日活の作品を見に行くことのほうが多くなっていたのに、なぜかこの作品は見に行ったのです。多分併映映画のほうが見たかったのでしょうが(当時は映画は二本立てで上映されるのが普通でした)、そちらのほうはまるで覚えていません。 

 ハードディスクに録画された作品の後半しか見ていないのに、次から次へといろんなことを思い出しました。子供の頃、東映映画の悪役といえば進藤栄太郎、山形勲さんや阿部九州男、吉田義男といって俳優さんが常連でしたが、もう少し経つと平幹次郎さんと菅貫太郎さんが悪役で東映の映画に出るようになりました。二人とも時には善人の役を演じていましたが、悪役のほうが魅力的だったのを覚えています。特に「十三人の刺客」の菅貫太郎さんのあのぎょろ目をむいたシーンは、いまだに忘れられれられないほど強烈だったのを思い出しましたが、久々にハラハラドキドキしながらの映画鑑賞となりました。

あるがままに・・・

 9月も今日で三日。時間の経つ速さに驚いている毎日です。なにせ確実に私が毎日していることといえば、一日三食の食事の用意のみ。食べることが人の日常にとっていかに大きな比重を占めているかと、あらためて思い知らされています。洗濯、掃除もそうですが、日々の明け暮れはまず家事ありきなのですね。それでもその合間を縫って、テレビを見たり、本を読んだり、買い物に出かけたりと、ちょこちょこと動き回ってはいるのですが、若い頃に比べて瞬発力がなくなり、思い立ってすぐ行動ということが少なくなりました。これも年齢のせいなのでしょうか。

 年齢のせいといえば、連れ合いの言葉ではありませんが、身体のパーツが少しずつ壊れはじめている様です。

 同年代の友人と会うたびに、立ち上がるときに膝が痛い、以前のようにすたすたと歩けなくなったと、、お互いにぐちがでますが、そんな時に思い出すのが、大好きだった女優の山岡久乃さんの言葉です。山岡さんが身体の具合が悪くなり、そのことでインタビューを受けられたとき、「機械だって70年も使ってれば故障するわよ。人間だって同じよ」という意味のことを答えられていたのを雑誌で読んで、本当にそうだと思ったものですが、今はその時以上に、その言葉が身に染みるようになりました。といって、くよくよばかりしてるわけではありません。何事もあるがままにというのが、今の正直な気持ちです。