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友へ

12月19日

 昨日、前から見たい見たいと思っていた坂本順治監督の「闇の子供たち」を見てきました。一言で言うなら、私にとってとても痛い映画でした。映画の中の現実はとても苛酷でつらいものがあります。子供の売春と心臓移植、どちらも今の私からは遠くかけ離れた問題です。でもだからといって無視することも、見過ごすこともできないのです。映画の中の現実は、ある意味私たちの現実の焼き直しなのですから。

 いまだに映画を見終わったあとの感想をきちんと言葉にできないまま、昨日からとりとめのないことばかりを考え続けています。

 私の子供の頃もとても貧しかった。洋服は上の子からのお下がりがあたりまえだったし、学校の教科書だってもらい物かお下がり。一個の納豆を家族l8人がわけて食べるような生活だったけれど、それがつらいと思ったことなど一度もなかった。それが現実だったから。でも自分が大人になって、人の子の親になって気がついたことがある。私たちは親に守られていたのだと。貧しくても親が親であり、大人が大人であり、子供が子供でいられた時代に生きてきたのだと。しかし、いまはどうだろう。昔はよかったなどというつもりはない。形が違い,目に見えるものは違っても、人が生きる上でのつらさは、どうしようもなくついて回るものだから。ただこれだけはいえると思う。私たちが子供の頃に手に入れることのできる情報は限られていた。新聞かラジオか本か、人を通して伝えられるものしかなかった。だが今は違う。テレビがある。インターネットがある。いながらにして、世界のニュースが日々の生活の中にとびこんでくる・・・などと考えだしたら、きりがないほど次から次へと、頭の中をいろんな思いが通り過ぎていくのです。

 戦争末期に生を受けた私は、戦後の貧しさに育てられたのです。貧しさの中で耐えることを学び、人を思いやることを学び、生きる術を学んできたといっても過言ではないでしょう。でも、ある時期、ただ無気力にしかなれない貧しさがあることを、身を持って知ったのです。だからよけいに「闇の子供たち」が痛いのです。その痛さをどうしたら明日へつなげていけるのか、それが今の私の課題です。

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