あの日
心肺停止だった息子
我が家から消防署は目と鼻の先
幸い119番してからすぐに駆けつけてくれた
心肺停止だと消防車も一緒に出動するということを
初めて知った
父の友人である近所のおじちゃんが
最近その消防署を定年退職したらしく
あの日の朝
家の前に救急車も消防車も出動してるのを見て
只事ではないと分かり
早朝から駆けつけてくれた
上の子達を見ててもらうため
すぐにうちの両親にも来てもらったが
泣き崩れる父を
そのおじちゃんが支えてくれていた
あの朝娘は
通勤電車に乗っていた夫に
LINEで音声メッセージを送った
文章を打つより早いと思ったのでしょう
「あのね、◯◯が息してない」
「だから早く帰ってきて」と
その後ろで
私が心マしながら半狂乱
その私を見た子ども達が泣いているという
そんな地獄絵図みたいな音声が
振り返れば残っている
あの子に関連する全てを残したいのに
その音声メッセージだけは二度と聞きたくない
でも消すのは勇気がいる
ならばもう、振り返らなければいい話なんだけど
思い出すだけでも苦しくなる
今まで何度も
熱性けいれん持ちの上の子達や
てんかん発作の息子のことで
救急車にはお世話になってる
産後直後に自分が乗ったこともある
救急車の音というのは
色々な記憶が蘇るけど
でも今
サイレンが呼び覚ます記憶は
あの子のあの朝のこと
あれ以上の苦しいサイレンの記憶はない
一生、この音に苦しさを感じて生きていくのかな
私のような人、少なくないかな
風が止んだので
寝ます