2020年8月15日、日本は75年目の終戦日だった。

今年は例年より、原爆の特集や、第二次世界大戦の特集番組を観たり、記事を読んだりした。

以前から興味はあったし、勉強しなければならないと思っていたけど、今年ほどは積極的ではなかった。

アメリカ人の彼は、初めて日本に来る前に日本の事を勉強したそうだ。
古事記を読んだり、原爆の事も勉強した。
初めて日本に来た時、まず原爆ドームに行ったけれど、涙が止まらなかったんだよ。と彼は言った。

それから、少し日本の歴史を学ぶことを意識するようになった。

アメリカ人の中で、原爆はひどいと考える一方でアメリカが日本に原爆を落としたから、第二次世界大戦は終わった。という考えをもっている人もいる。だから、謝罪に対して賛否両論あるという記事を読んだことがある。

そして、広島、長崎に原爆を落とし、日本が壊滅状態になった後も、日本がすぐに降伏しなかったため、日本の各地で大規模な空爆があり、多くの人が亡くなったと知った。


"戦後"と聞けば、多くの日本人が1945年8月15日以降、と考えると思う。
だけど、この言葉は彼には通じなかった。

彼は、"どの戦争の後?アメリカには沢山の戦争があるんだよ…"と言った。

確かに、ベトナム戦争、湾岸戦争など、私が思いつくだけでもいくつかある。

一方で、私が日本人として、"戦争"について話す時、それは第二次世界大戦であり、"戦後の日本"という言葉を何の疑いや疑問もなく、耳にしてきた。

そう考えて、改めて今年の戦没者追悼式の様子をYouTube で見ると泣けてくる。

あれから、75年間、平和に暮らしてこれた事は、多くの先祖のおかげだと感謝します。

当時、大阪の空爆を目の当たりにされた90歳の男性が、インタビューで、こう話されていた。
"そこらじゅうに、死体が転がっている。手だけ、足だけの場合もある。何がなんだかわからなくなる。それでも生きていかなしゃあない。
戦争ってこういうもんや。予想もつかない事がどんどん起こる。そのうちに、頭が真っ白に、心がポッカリなる。"

今のこのコロナの状態は、私達にとって、初めて体験する戦争のようなもので、色々な事を我慢しなくちゃいけないし、沢山の制限がある。いつ終わるのかわからないし…

もしも、戦争を経験した私の祖母が生きていて、彼に会いたくて、ピーピー言う私を見たら、きっと、
"戦争よりはマシ。戦争なんてこんなに甘いもんじゃない。絶対無理なのに、アメリカの戦闘機を下から竹槍でつく練習を毎日させられる。食べたい物を食べられるだけ、幸せやで!"
と一喝するだろうな…


今私に出来ることは、

平和に生きていることに感謝すること。
日々の生活の中で小さな幸せを見つけること。
希望を持つこと。
今、目の前の一日一日を、自分なりに一生懸命に生きること。


(2018年10月 天草市)