先日、ピアスを開けに行った。

考えてみたら、ピアスを開けたいと思い始めたのは11歳くらいの頃。

開けようかな。
痛いの嫌やな。
やっぱりやめとこうかな。

そんなことを考え続けて、気がつけば46歳になっていた。

 

35年。

ピアスの穴を開けるかどうかだけで、我ながらよくここまで考えたと思う。

私は本当に痛いことが苦手。

 

でも去年、出産した。

まさかの44歳で自然妊娠。45歳で出産。

無痛分娩をしたけれど、それでも麻酔をしてくれる先生が来るまでの4,5時間は陣痛で悶え苦しんだ。

あれ以上痛いことは、人生でないだろう。

そう思ったら、なんとなくピアスくらい開けられる気がしてきた。

 

当日、ネットでいろいろ調べて、たまたま見つけた大阪のクリニックに電話をした。

私は東京と大阪の二拠点生活なので、東京も大阪も含めていろいろ見たけれど、金額的にも良心的だったし、

何よりピアッサーではなく、針で開けてくれるのがよかった。

ピアッサーなら、中学生の時に友達のピアスを開けたことがあったし、それをクリニックでやってもらえるからといって

お金を払うのはなんかなあと思った。

 

18時30分に予約。

35年間考えていたわりに、決めてからは数時間だった。

少し早めにクリニックに着いた。

予約時間より早く診てもらえることもなく、診察室に入ったのは18時35分くらい。

そして、先生と対面した。

 

先生は見た目からなかなか個性的だった。

髪は顎より少し上くらいのボブで、半分くらい白髪。
メガネはちょっと鼻メガネ気味。

こめかみの上あたりの髪をゴムで結んだ、独特のハーフアップスタイルだった。

 

先生は「椅子におかけください」と言った後、診察室に入った私を見るでもなく、

少し離れたところで立ちながらめっちゃ携帯を見ていた。

 

どういう感じなんやろ、この先生・・・

と思いながら椅子に座り、数分間、無言で先生が携帯を見終わるのを待った。

 

ようやく携帯を置いた先生が話し始めた。

話し方も、なかなかキャラが濃い。

「えっとね、僕は去年1年間でピアスを1,100件やりました。なかなか上手だと思います」

 

自分で言うんや・・・

 

そして、ものすごいスピードで耳たぶの絵を描き始め、美しく見えるピアスの位置について説明し始めた。

先生によると、安全性と見た目を考えると、耳たぶの一番下から6.5mmから、多くても8mmくらいまでがいいらしい。

前に流行った、耳たぶの先にあけるピアスはお勧めしないと言われた。

それは最初から望んでいないので安全第一でお願いしたかった。

 

先生に診察台に寝転ぶように言われた。

寝転ぶと、先生が私の両耳をものすごく真剣に見始めた。

そんなに見る?

というくらい、見る。

少年が初めて昆虫を観察する熱量。

 

定規まで取り出して測り始めた。

私の耳自体は平均的な大きさらしいけれど、耳たぶは普通より少し小さめとのこと。

先生の診断では、私の場合は6.5mmがベスト。

「7mmにすると、ちょっとバランスが良くないかな」

とのことだった。

 

正直、私には6.5mmでも7mmでもほぼ同じに思えたが黙っていたら、

「まあ、0.5mmぐらい関係ないやろって思うかもしれないですけど、僕にとっては関係があるんですね」

と先生は言った。

 

そしてさらに私の耳たぶにかじりつくようにして、右から左から何度も見比べる。

定規で測る。

マーキングする。

また見る。

ああでもない、こうでもないと、ピアスの穴を開ける場所の設計が続いた。

めっちゃ本気やん 笑

 

ようやく場所が決まり、鏡でマーキングの位置を確認させてもらった。

私もそこで了承。

 

いよいよ穴を開けることになった。

その前に、気になったので聞いてみた。

「何ゲージで穴を開けるんですか?」

「18ゲージです」

とのこと。

私は仕事柄、毎日のように針を使うので、ゲージを聞けばだいたいの太さはイメージできる。

18Gか。

ただし、その前の局所麻酔には34Gという、とても細い針を使うらしい。

まず右耳。

最初の一刺しだけ、

「あ、ちょっと刺されたかな」

という程度だった。

次に左耳。

こちらはいつ刺されたのかすら、まったくわからなかった。

そして、その後の工程は本当に無痛だった。

18Gの針で耳たぶに穴を開けているはずなのに、何も感じない。

びっくりした。

35年間、「痛そう」という理由で躊躇していたのは一体なんだったんだろう。

 

施術中、先生から、

「どうやってここのクリニックを見つけたんですか?」

と聞かれた。

「ネットです」

と答えた。

東京と大阪でいろいろ調べたけれど、金額的にもよかったし、私はピアッサーで開けたくなかったので、ここが自分の理想に一番合っていたと話した。

すると先生、

「そうなんですよ。ピアッサーで開けてるのに、1万、2万とか取ってるところもあるんですよ。あれはさすがに高いし、やりすぎやろって思うんですよね」

と言った。

そこは私もめっちゃ同意した。

先生から、

「でも医療従事者やから、そのへんの感覚があるんちゃいます? だいたいの価格帯とか、ここが良さそうとか」

と言われた。

確かに、それはあるかもしれない。

そして先生は、ピアッサー反対派だった。

先生のお母さんも皮膚科医で、ピアッサーでピアスの穴を開けているらしい。

 

先生はこれまで大量のピアスの穴を開けてきたけれど、ピアッサーは一度も使ったことがないという。

「母親のことは尊敬してるんですけどね。ピアッサーを使ってることだけは尊敬できない」

と言った。

 

先生のピアスに対する信念は、私が想像していたよりずっと強かった。

去年1年間にピアスを開けた約1,100症例のうち、その後化膿して、薬を飲むなどの治療が必要になったのは3例だったそうだ。

先生としては、この数字はそんなに悪くないと思っているらしい。

しかも、その3例も症状が出たのはピアスを開けて3ヶ月くらい経ってから。

「3ヶ月後ですからね。それを考えると、僕の技術的なことが原因ではないと思うんですよ」

と分析していた。

 

そして突然、夏休みの話になった。

夏休みになると、18歳になった女子高生たちがピアスを開けに殺到するらしい。

耳たぶも多いけれど、それより先にへそにピアスを開ける子も結構多いという。

へそなら学校でチェックされてもわからない。

だから18歳になった女の子たちが、ここぞとばかりにへそピアスを開けに来るらしい。

そして先生が言った。

「毎日毎日、17歳、18歳のへそばっかり見てるんですよ。この子のへそは右に曲がってるな、この子は左に曲がってるな、とか。なんかもう、ちょっと疲れてきたんですよね」

知らなかった。

へそにも右曲がりと左曲がりがあるらしい。

多分、その界隈で口コミが広がってると思うんです。

全然嬉しくないんですけど、本当にたくさんの子が来るんです、と悩み相談された。

 

一方で、結構年配の方がピアスを開けに来ることもあるという。

そういう人たちの中には、

「このピアスを買ってしまったから、これをつけたい」

と、自分で買ったピアスを持ってくる人もいるらしい。

先生としては、普通のピアスはファーストピアスとは違ってキャッチが緩かったり、その後どんなトラブルが起こるかわからなかったりするため、リスクやなあ、嫌やなあ。

と思いながらも、これまで対応してきたそうだ。

 

多分そういう人たちは、ピアスのことをあまり知らないのではないかと思う。

私の周りにはヤンキーが結構いたので、ピアスの穴を何十年もみてきた。10代の頃はみんな知識がなくて、ピアスのトラブルも見てきた。

 

私は、どうせ35年越しに開けるなら、ちゃんと穴を安定させたい。

ということで、素直に先生の用意しているファーストピアスをつけてもらった。

そして、ついに完成。

 

先生が鏡を持ってきた。

「ほら、めっちゃいい感じでできてるでしょ。見てください。これ、かなり左右対称でいい感じですよ」

そう言いながら、自分でも私の右耳と左耳を何度も見比べている。

「うん。いい感じにできた。かなりいい」

そして、

「ああ、やっぱりセンスがいいね、僕は」

と、ぶつぶつ自画自賛し始めた。

 

最初は、この人大丈夫かな。と思っていたけど

最終的にはもう、私は先生のキャラが結構好きになっていた。

 

0.5mmにこだわり、ピアスの穴ひとつに本気で向き合う姿がかっこよく思えた。 笑

 

しかも、このクリニックは美容医療だけではなく、内科や皮膚科など一般の保険診療もしている。

「もし何かあったら診ますよ」

と言ってくれたのも、かなり好印象だった。

ピアスを開けて終わりではなく、もし耳が化膿するなどのトラブルがあれば、その後も診てもらえる。

 

偶然ネットで見つけたクリニックだったけれど、ここは当たりだった。

ちなみに金額は両耳で7700円。抗生剤入りの軟膏ももらった。

 

というわけで、

11歳くらいからピアスを開けたいと考え続け、ようやく開けるに至った46歳。

35年間も考えていたわりに、最後は突然だった。

 

35年間、何をそんなに考えていたんだろう。

案ずるより産むが易し。

去年、本当に産んだ私が言うのだから、間違いない。

 

ものすごい成長したと思ったけど、耳の穴から少し出血してちょっとびっくりした。

やっぱり気分はまだteenagerかもしれない。

 

次に妊娠する可能性と同じくらいヘソにピアスを開ける可能性は低いけど、

もしもの場合は絶対この先生に頼もうと思った。

 

今年のお盆はずっと東京にいた。
地元の大阪を離れて過ごした。

 

ご先祖様が帰って来られているこの期間、今の日本を見て、どう思われているだろうか。

大人になるにつれて、戦争についてもっと学びたくなるのに、戦争を体験した方々はいなくなってくる。

 

私の祖父は戦争に関してほとんど何も話さなかった。
祖母は、思い出したくないので話したくないと言った。

だけど、一つだけ話してくれたのは、女学生の時に竹槍を持たされて、下からアメリカ軍機を突く練習をさせられたということ。
そして、大人になって初めて飛行機に乗った時に、それがいかに無意味な行動であったかを知り、愕然としたと話してくれた。

確かに、竹槍で飛行機を突けるはずがない。

 

数年前、広島に行った時に原爆ドームに行った。
タクシーの運転手さんから色々話を伺い、人生で初めて、もっとタクシーに乗っていたいと思った。

 



その数ヶ月後、ハワイのパールハーバーに行った。

そこでは、真珠湾攻撃によって多くの人が亡くなり、どれほど悲惨な出来事だったのかが伝えられていた。

一方、お土産物屋さんでは、弾丸を使ったグッズがたくさん売られていた。


広島では千羽鶴に込められた「二度と同じことを繰り返さない」という平和への祈りを感じた。
その数ヶ月後に訪れたパールハーバーでは、戦争を伝える場所のお土産として弾丸が売られている。

もちろん、広島とパールハーバーを単純に比較することはできない。
それでも、その対照的な光景に、私は強い違和感を覚えた。

そして今も、世界のどこかで戦争は続き、アメリカも軍事大国としてそこに深く関わっている。

戦争を記憶することと、戦争を繰り返さないことは、同じではないのかもしれない。

 

 

私の息子の誕生日は9月11日で、アメリカ人の夫に「その日だけは産まないでほしい」と言われた日だった。
理由はテロの日だからだそう。

私たちが終戦記念日や原爆の日を悲しむよりも、もっと強い気持ちがあるのだろう。
でも、それはなぜか。

アメリカの歴史を振り返ると、外国から自国の領土を直接攻撃された経験は意外と少ない。

独立後には、1812年からの米英戦争があり、イギリス軍によってワシントンD.C.が攻撃され、ホワイトハウスまで焼かれた。

その約130年後、1941年には日本軍による真珠湾攻撃があった。
第二次世界大戦中にはアラスカやアメリカ本土への日本軍の攻撃もあったが、日本のように多くの都市が継続的な空襲を受けたわけではない。

そして2001年9月11日、アメリカ同時多発テロが起きた。

そう考えると、真珠湾攻撃や9.11は、アメリカ人にとって私が想像する以上に大きな意味を持つのかもしれない。

 

真珠湾攻撃をしたから、日本が悪い。
原爆を投下したから戦争を終わらせることができた。

そう考えている人がいるのは本当か?と、夫に尋ねた。

 

夫は、学校によって教育がバラバラなのでなんとも言えないが、原爆のビデオで、

いかに多くの人を亡くならせ、傷つけたかということは学んだし、原爆をいいことだったと思っている人は少ないと思う、

と言っていた。
ただ、一定数、偏った考えをしている人がいるのも事実だと思う、と。

 


 

先日の川井先生のラジオで聞いた言葉が印象的だった。

「平和」に続く言葉で一番多いのは「祈る」です。
平和とは、自分で明日の予定を決められる、将来の進路を自分で選べること。
平和をただ「祈る」だけでなく、それを守り続けられる「仕組み」を考えることが大切。

 


戦争を生きた祖父母がいて、どうにか命を繋いでくれて、今の私がいる。
そして、その命は息子へと繋がった。

息子には、自分で明日の予定を決められる世界で生きてほしい。
行きたい場所に行き、学びたいことを学び、好きな人と過ごし、自分の未来を自分で選んでほしい。

そんな当たり前のことが、当たり前ではない時代があった。
そして今も、世界にはそれが当たり前ではない場所がある。

平和を祈るだけではなく、知ること。考えること。
そして、自分にできる小さなことを続けること。

それも、ご先祖様から繋いでもらった命を、次の世代へ繋いでいくということなのかもしれない。

ゾロ目になる時、祈りごとをすればそれが叶うと聞いたことがある。

スピリチャル界隈(?)ではライオンゲートが開く時期らしい。

 

朝、バタバタしていて、私は30秒くらいやんわりとしか祈れなかった。

8:30になったとき、夫が叫び出した。

 

しまった!!令和8年8月8日8時8分を逃した・・・

 

反スピリチュアルな夫。

いきなりどうした?

 

せっかく日本いいるからゾロ目を見たかった・・・

 

確かに、考えてみれば令和は日本だけの表現でアメリカでは関係ない。

それでもまあ、ゾロ目の考え方はあるのかもしれないが。

 

私は30秒程度ではあったが自分だけこっそり楽しんだことに若干罪悪感を感じたが、

もう遅いので何も言わなかった。

 

しばらくして、あることに気づいた。

 

2018年8月8日、私たちは初めてデートした。

iPhone が8年前の今日の写真を勝手に出してきたのだ。

 







8年前の8月8日、お互い好意は持っていたが、

アメリカと日本と離れていたし、このまま友人関係が続くと思っていた。

 

手を繋ぐこともなく、倉敷と姫路城に一緒に行った。

 

コロナ前に(晴れて?)カップルになるも、コロナ中の遠距離恋愛になり、別れた。

その切なさをつらつらとこのブログにかき(苦笑い)

その後旅に出て、やりたいことを片っ端からしていき、

彼が日本に帰国。

 

東京と大阪の遠距離恋愛であったが、関係を続け、

2024年12月にプロポーズしてもらった。

クリスマスやお正月は飲み続けていた矢先、妊娠が発覚。

妊娠中ではあったが、2025年2月には彼の実家のNew Orleansで行われる大きなお祭り、Mardi Grasに行った。

2025年4月に入籍

そして、2025年に9月に息子を出産した。

 

44歳で妊娠がわかり、45歳で初めて出産した。

 

久しぶりに過去のブログを読むと、とても懐かしい気持ちになった。

と同時に、想像を絶する未来に来たなと思う。

我ながら、波瀾万丈だと思う。

 

私にとって、8年前の8月8日が初デートで

そこから全てが始まったのかもしれないと思うことの方が

ゾロ目よりパワフルな思い出となった。