昨日亡くなりました。

数々のプロディースを手掛けて
1980年ごろには
名曲を多く世に送り出した名プロデューザー。

テリー・キャスが他界して
決定的に低迷し始めたシカゴが1978年に発表した
「ホット・ストリート」(=Chicago12)を手掛けたプロデューサー。

シカゴのデビュー以来
一貫してプロデュースを担当していたジェイムズ・ウィリアム・ガルシオから
他のプロデューサに変わったある意味歴史的アルバム。

全米アルバム・チャートで最高位第12位を記録。

この新星シカゴのシングル
「アライヴ・アゲイン」や「ノー・テル・ラヴァー」
は、とても斬新なアプローチで
当時学生だった私はとても気に入って聞いていました。

その後シカゴはディビッド・フォスターをプロデューサーを迎えて
究極のAOR路線に踏み込んで行きましたが
シカゴがピータ・セテラを前面に押し出して
本格的なポップ&AOR路線に向かった最初のアルバムではないかと思います。

Chicago - Alive Again


Chicago - No Tell Lover


フィル・ラモーンはその後
ビリー・ジョエルの「素顔のままで」、「ニューヨーク52番街」
や「フラッシュダンス」などのプロデュースをして大ヒットさせました。

Billy Joel Just the Way You Are


 
ちなみに一昨日だと思いますが
ヒュー・マクラッケン(Hugh McCracken)
も亡くなりましたね。

RIP