「お待たせしました」
ジヨンがトッカルビを焼き上げて食卓に料理を並べる間に、ヨンシクはすっかりリラックスモードになっていた。今はうつ伏せに寝てスンリに腰を揉んでもらっており、少しウトウトしていたくらいだ。
「お、おお…」
半分閉じたような目のまま起き上がり、ヨンシクは両手で顔を擦った。
「ありがとう、だいぶ楽になった」
「どういたしまして。わざわざ遠くから来てくれてありがとう」
朝は突然の訪問に驚き、繰り広げられるであろう説教に気を重くしていたスンリだが、マッサージを施すうちになんともいえない感慨深い気持ちになり、素直に感謝の言葉を口にした。
ヨンシクもまさか"ありがとう"と言われるとは思っておらず、少し驚いて照れくさそうにした。
「こちらへどうぞ」
食卓に歩み寄ったヨンシクのためにジヨンが椅子を引く。
「おお、トッカルビか!」
食卓には麦ご飯にトッカルビ、海藻サラダに豆腐とわかめの味噌汁、ヨンシクには食べ慣れたものが良いかと思い、わかめスープを用意した。メインの料理の周りにキムチなどの副菜が並ぶ。
「ジヨンのトッカルビ、おいしいよ」
なにぶん、ヒョンスク直伝のイ家の味である。ヨンシクが席についてから、2人も食卓についた。
「久しぶりじゃのう」
ヨンシクは嬉しそうに手をつけた。祖母が亡くなってからはスンリの叔母と介護サービスの人が彼の食事の面倒をみている。人に物を頼むことが苦手なため、細かい食事メニューの注文などしたことがないのだろう。
ジヨンはヨンシクがトッカルビを頬張るのを見守った。ヒョンスクにレシピを教えてもらって以来、スンリ以外の人に食べてもらうのはこれが初めてである。彼女の太鼓判をもらっているが、それでも人に食べてもらうのは緊張するものだ。
「…お口に合いませんでしたか?」
口に入れた瞬間に箸が止まり、ヨンシクの表情が少し曇ったように見えて、ジヨンは顔を覗き込んだ。
「いや、うまい。お前さん、料理がうまいんじゃのう」
「でしょー?」
「何でお前が返事をするんじゃ」
スンリが得意気に返事をしたので、すかさずヨンシクが突っ込んだ。その2人のやりとりが軽快で、ジヨンは笑った。
かなりお腹が減っていたのか、ヨンシクは麦ご飯もおかわりしたしジヨンが別に用意したわかめスープだけじゃなく、味噌汁までたいらげた。
「うまかった、ありがとう」
「喜んでいただけて嬉しいです」
食事を終え、3人は食後のお茶を楽しんでいた。ヨンシクはとても満足そうだった。
ジヨンはやはり久しぶりに孫と顔を合わせ、食事ができたことが嬉しかったのだろうと思い微笑ましかった。
そんな彼のことをヨンシクはじっと見つめた。
「お前さん、スンリの先輩と言ったの」
「え?あ、はい」
「仕事は何をしとるのかね?」
「僕ですか?僕は、下のカフェで働いています」
「かふぇとは喫茶のことか?」
「そうです」
会話の行く末を見守るスンリの心に不安が募る。ヨンシクの性格をよく知っているからだ。
「それはもちろん一時的なものなんじゃろう?」
「一時的…?えっと」
ヨンシクには喫茶店がメインで仕事になるとはとても考えられないのである。
「スンリの歳上ならもう30近くじゃろう。早く良い仕事見つけて家庭を持つ準備でもせんとこの先…」
「じいちゃん!」
「なんじゃお前は人の話し中に…」
スンリに遮られ、ヨンシクは不満そうに口を尖らせた。
ヨンシクには悪気はないのだが、ついつい人のことに口を出してしまうためどうしても説教ぽくなってしまうのである。
「じいちゃん、風呂入ったら?風呂」
「おお、風呂か。では先にいただくとするかの」
ヨンシクは立ち上がり、嬉々として風呂場に向かって行った。タオルなどの置き場所の説明のためにスンリもその後について行き、すぐにリビングへ戻ってきた。
「ヒョン、ほんっとうにごめん!」
スンリは両手を顔の前で合わせ、ジヨンに謝罪した。
「じいちゃん、いつもあんななんだ。事情を詳しく説明もできないし…とにかく気にしないでね」
「ううん、全然大丈夫だよ」
ジヨンは微笑んだ後、少し考え込むような表情をしたのでスンリは心配になった。
「ヒョ…」
「あ!そういえば寝床の準備しなくちゃいけなかった」
この狭いアパートにはそんなに部屋がない。メインルームはリビングと寝室で、あとは小さい部屋があるだけである。ヨンシクはベッドは好きではないらしく、小部屋に布団を敷くことにしたのだ。彼が風呂に入っている間に準備をしなければならない。
スンリはジヨンの様子が気になったが、彼が支度に向かったために手伝うため跡を追った。
ヨンシクの寝室にと考えているその小さな部屋は主に収納に使っており、ハンガーラックにスンリのビジネススーツなどがかかっている。
スンリはハンガーラックをリビングに移動し、場所を空けた。そこにジヨンが布団を敷く。突然のヒョンスクの訪問の後、今後はもしかしたらこういう機会も増えるかもしれないと思い購入した物だ。
「少し前にちょうど虫干ししたから大丈夫だと思うけど…」
丁寧にシーツをかけながらジヨンは布団の状態を気にしていた。
「あの…さ」
「何?」
スンリが声をかけるとジヨンは無垢な瞳で見つめ返して来た。いつものジヨンである。
「さっきじいちゃんが言ったこと気にしないでね。じいちゃん、古い人だからなかなか考え方が変えられないんだ」
ヨンシクがスンリの年齢だった頃と今とではかなり世間は変わった。しかしながら地方に住んでいることや頑固な性格もあり、ヨンシクの物事の捉え方は今も昔も変わらないのである。
家族は慣れているが、人に同じ態度を取られるとヒヤヒヤする。
「うん、ありがとう。なんかさ、ちょっとハッとさせられたんだ〜」
「ハッと?」
「うん」
そう話すジヨンの顔はどこか晴れやかだった。スンリにはその理由が分からず尋ねようとすると、風呂場の引き戸が開く音が聞こえた。
「あ、おじいさんお風呂から上がったみたいだね」
「ほんとだ」
スンリはヨンシクを寝室に案内するために部屋を出た。それでジヨンの話をまた聞きそびれてしまった。