一昨日だったか、夜NHKを見ていたら「コンテナを開ける」という内容の番組が流れ始めた。
コンテナは貨物船(←って、今はあまり言わないのか?)で、ヨーロッパから、中国から、韓国から、運ばれているようだった。
もちろんそれだけでなく、世界中から来たり行ったりしているのだろう。
それを見ているうちに頭に浮かんだのは、船でなく貨物列車のことだった。
以前にも書いたことがあるが、子どものころ、飛鳥山の線路側の斜面に座って、よく下を眺めたものだった。
通っていくのは乗客の乗った普通の電車が主だったが、子ども心が待ち構える貨物列車も少なくなかった。
そして、ほとんどの貨物列車は普通の電車より遥かに連結車両が長かった。
ガタンゴトンとリズムよく、大きかったりやや小さかったり形も異なったり、様々な貨車をつなぎ合わせて、こちらの気持ちを高揚させるように通過音を響かせながら走り去っていくのだった。
テレビでやっていたような一律のコンテナばかりでなく、荷台をつなげたような、石炭とかをそのまま積んだ「モロ出し」の車両などもあった(と思う)。
春先、北の方からやって来たのだろう、東京では季節の合わない雪をかぶった車両もあった。
すると、まだ行ったことのない「北の国」の景色がぼんやりと、いや鮮やかに広がっていくのだった。
そうそう、この↑写真のように全体が黒っぽい感じの車両が目立つものも多かった。
この写真は昭和50年代に撮られたもののようだから、自分が飛鳥山から見下ろしていたのは、これより20年ぐらいは前のことだった。
1台2台・・・40、50……と繋がった貨車の数を声を出して数えたものだった。
100を超えたものもあった(と思う)。
そんな長い列車の最後の一両は、必ずと言ってよいほど、車掌さんが乗っているのだろう、乗客の乗る車両をごく小さくしたような独特のものだった。
↑これ、これでした。
これが「少年・自分」の憧れだった。
これが最後にやってくる頃が、自分の心が最大に広がる瞬間だった。
いや、瞬間、よりはもう少し長かった。
この車両が出現して消え去るまで、自分は小さなストーリーの登場人物、いや主人公になっているのだった。
この車両に乗り込んで、日本中を旅する人物の物語。
一般的な乗客の乗る普通列車ではなく、貨物列車の一番後ろのこの車両には車掌さん一人しか乗ってはいなく、
「何かの特別の事情」で乗せてもらった主人公には、絶対にここならではの出来事が待ち受けているのであった。
一瞬、ではなくもうちょっとは長かったとはいえ、物語は「展開」するほどの時間的余裕がなく、尻切れトンボになってしまうのだったが、
なに、それからのお話はまた次の貨物列車が来れば続けられるのだった。
昔とはいえ、それほど続けざまに長い貨物列車は来なかったが、斜面の上の方に座っている少年は飽きもせず辛抱強く、
いや「辛抱強く」ではないな、「気まま」に待ち続けるのだった。
飛鳥山に居たのは、結局どのぐらいの時間になったのか、一人だったのか、それとも他に誰か仲間がいたのか、
もうそんなことは思い出せもしないが、
あの飛鳥山で貨物列車を見下ろしていた自分自身の心の内を、懐かしむことだけは今でもできる。