GW期間中は良い天気が続いたが、本日は一転雨模様である。
ま、だからどうということは無いので、別にどうでもいい・・・
いや、リフォームの進み具合には影響があるか。
いずれにしても何も「特段のこと」は起こらないだろう。
ここのところこのブログを書いていて自覚することがあるのだが、「特段」という言葉は、大げさに言うともう自分の人生からは消えてしまったような、遠い言葉になったような気がする。
何も起こらない毎日が、それこそ毎日続く。
リタイア後の生活なんてこんなもの?
いや、もう少し「何かに向かう」つもりがあったのだが、ほら、根っからの意気地なしですからね、自分は。
惰性に引っ張られて凡庸が習いとなる、まあそんな感じでしょうかね。
それでもいいか・・・と、半ばあきらめた気持ちに捕らわれても、それほど痛みは感じない。
「半ば」ということは、少しはそんな気も起きる、ということですがね。
気持ちが、大げさに言えば精神がそんな風になると、身体もそれに引きずられる。
ちょっと前に、「久しぶりに自転車を走らせたら腰やお尻の裏側が痛い」というようなことを書いたが、
運動不足はストレートに体を弱らせる。
さすがにそれはまずいな、と思い、たとえ10分20分でもいいから何かの運動、まあ手っ取り早いのは自転車かな、
ということで、近所を目的もなく走ってみることにした。
でもですね、「目的もなく」というのは意外に難しく、何かに向かって、とか、買い物でも写真でもいいから何かをするために、というのは必要で、
一昨日は
息子たちや孫も卒業した中学校の方に行ってみた。
小学校には何回か行ったことがあるのだが、中学校となると一度もない。何かこう、訳もなく敷居が高い感じがしてしまったのですね。
でも、
この中学校は崖の上に立っているような感じで、この高台から向こうは、目で見て分かるようにはっきりとした低地が広がっている。
境まで行くと、何という名前だろう、雑草の仲間だろうが、紫の花が広がって咲いていた。
ここら辺りに貝塚があるということは知っていた。
つまり、はるか昔、この中学校のある場所の先の低地には海が広がっていたのだ。
写真を見ても分かるように、この崖に波が打ちつけていた昔がある、ということですね。
そう思って、高台のこちらから、海、ではなくて、広がっている低地をしばらく眺めていた。
一昨日は風もない穏やかな日だったが、何となく潮風と波の迫る潮騒をほんの少しだが感じられるような気がした。
自分の人生、なんて、かなり大げさに考えてみても、海が広がっていたりそれが陸になったり・・・
と、そんな風な気も遠くなるような長い時間のことが胸にあるだけで、
見えている景色と、「これまで」と「これから」の時間が、
余計にわずかなものであることに気づかされるような思いが湧いた。