テレビでも、桜が咲いた、とか、もう満開だ、とか、ゴールデンウィークに見頃になるのはここだ、とか

 

ここのところは「サクラを見る」モードに突入している。

 

ま、この時期だけですからね、桜に心を奪われるのは。多少はそのモードにハマることにしよう。

 

でもね、そればっかりに気を取られていると見逃してしまいそうなものもある。

 

 

小さな花たちですね。

 

こういう「私も生きてますよ…」という感じの花たちは、立派なお庭がなくても、わざわざ見に出かけなくても、

 

ご近所のお買い物の行き帰りで見ることが出来る。

 

よそ様の玄関先や道端の囲いとか線路際とかに、ひっそりと、大声を出すわけでもなく静かに咲いている。

 

今日はコンビニに固定資産税の振り込みに行ったので、ま、あまり気分の乗るお出かけではないので、

 

見つけたらスマホを向けてみた。

 

 

 

かみさんと一緒だったら、

 

あらここにも……、これの名前はね……

 

と歩きながらの会話はもっと弾んだものになっただろう。

 

こっちは教えてもらっても、花の名前などすぐ忘れてしまうのですけれどもね。

そんなことをぼんやり思っていたら、この↑道に差し掛かった。

 

最近はこの前をよく通る。駅に向かう道だ。

 

昔、朝の通勤はほとんど、帰りも遅い時間でなければ駅まで車で送り迎えしてもらっていたから、別の道を通っていた。

 

たまには通ることもあったが、車の中だし、特に目立つような道ではなかった。帰りは暗いしね。

 

近くの道であるのに馴染みがあまりなかった。

 

だが、気づいてみると、

 

今の、この季節になるちょっと前には、新しい葉の芽はもっと輝くように赤というか紅色だった。

 

一日一日の色の変化というか成長というか、「生きてる」って感じを強く打ち出しているのに気づいたのは、

 

かみさんを亡くした次の年だった。

 

車で送ってもらえる、という「楽な人生」が終わって、朝、とぼとぼと駅まで歩くようになってから。

 

ああ、こんな目立たない、気持ちに入ってこない生垣にも、

 

輝かしいひと時はあるんだなあ、今が盛り元気元気って言っているような。そりゃそうだよなあ……。

 

そんな気分で、ただただ無機質に足を運んでいるような時間だった。

 

あの頃は、この道の前を通ると、自分だけが意味のない時間を過ごしているようにも感じた。

 

まだ、どこかにそんな気分に陥ることがないとは言えないけれど、

 

毎日毎日をそれなりに過ごして、二十三回忌の今年に至れたのだから、まあ良しとするか。

 

小さな花の心意気に打たれて。