今日はかみさんの誕生日。

 

22年前の今日は入院している時だったかな。

 

あれからずいぶん経ったけれども、自分たちは誕生日当日、その日にはお互い忘れているようなこともあった(ような気がする)。

 

一日中忘れているということではなくて、

 

その日の午後辺り、あるいは夕方になってから、「あっ、そういえば今日は……」と言いあうようなことが何回かあった。

 

付き合い始めた頃には互いの誕生日は、大きなイベントのような、特別の日だったけれども、

 

結婚してからはそうでもなくなった(ような気がする)。

 

5月に結婚して、翌年の4月には長男が誕生したから、結婚して最初に迎える誕生日には、もうかみさんのお腹は大きかった。

 

気持ちは、「誕生日」より、「もうすぐ生まれる子ども」の方に行っていた。

 

それは「お互いに」だった。

 

互いの誕生日を盛大に祝う二人ではなかったけれども、それで不足を感じることはあまりなかった。

 

それよりも「普通の毎日」が、当たり前のことしか起こらない毎日の方が、

 

「自然な毎日」を過ごしているだけだったのだが、(言葉にすると何故か当てはまらないような気がするのだが)

 

それで満足、これ以上何を望むの? というような幸福感に満たされていた(ように思う)。

 

かみさんをなくしたときに次男が発した「あんなに仲のいい二人だったのに なぜ」

 

という言葉には一番泣かされた。

 

でもなあ、かみさんはずるいよなぁ。

 

今でも写真のイメージが強く残っている。

 

「おばあさん」のイメージは想像するしかないものなあ。

 

こっちは、もう正真正銘のじいさんになってしまったよ。

 

テーブルの向こうを行ったり来たりしながら、

 

「なに書いてるの?」

 

と言っている姿も想像でしかないのだなあ。

 

若いなあ。

 

いいなあ。

 

迎えられない誕生日を悔しがって、どこかでこっちを見ているのだろうか。

 

二人で建てた我が家を、今リフォームしているよ。

 

壁の向こうの方、玄関の方かな、ドンドンと壁を叩いている音が聞こえてくる。

 

一緒に聴きながら、「そういえば今日は誕生日だったじゃない」と言う自分の姿がふらふらと消えたり現れたりする。

 

もう、そういうことはいいの。

 

と言うかみさんの声が聞こえる。