前回、予告のような形で書いたAERA MOOK本の「『サザエさん』の昭和図鑑」の表紙には、

 

漫画「サザエさん」と当時の写真で解説する昭和のモノとコトとヒト

 

と中身を分かりやすく伝えている。

 

ヒトである自分は紹介されている内容と、どう関りがあるのか、何を感じていたのか、

 

などを時折書いて行ってみたい。

 

まずは自分の暮らしにも密接にかかわっていた「ちゃぶ台」について。

右の写真のような「家族そろってちゃぶ台を囲む」のような風景は我が家でも当たり前、ほぼ毎日のことだった。

 

「家族」とは自分が結婚してからのことではなくて、まだ自分が小学校に上がる前からの家族。

 

父親母親、それと姉が二人で、朝には自分を加えて5人がちゃぶ台を囲んだ。

 

それほど大きなものではなかった。

 

今は「一人暮らし用のコンパクトなちゃぶ台が販売されています」と解説で言われているが、そもそもちゃぶ台そのものを「見たことが無い」と言う人も多くなっているのではないか。

 

5人で囲んだちゃぶ台も「一人用」に比べて5倍も大きかったか、というとそんなことは無く、えらくこじんまりしていたのだが、

 

当時は「小さすぎて不便」とも何とも思わなかった。

 

ちゃぶ台の上には、ご飯、お味噌汁、の他に納豆、卵焼き、トマト、サケの焼き物・・・などがレギュラーだったように思う。

 

あ、あとは漬物ですね。白菜とか大根は必ずと言ってもよいほどだった。

 

熱々のご飯にバターを、というのは姉、特に上の姉が好きだった。

 

この写真の「お母さん」の隣りには四角い火鉢があるが、我が家では丸い形の火鉢だった。

 

ムック本の別項目で「火鉢」も取り上げられている。

 

こちら↑はどうやら丸いみたいですね。

 

ちゃぶ台の脇に火鉢があると、時にはやかんを置いておいてお湯を沸かしておいたり、お餅を焼いたり、手をかざして時折温まったり・・・と、何かと便利だった。

 

手をかざす・・・

 

どころか、自分の場合には「やめなさい」と𠮟られながらも、両足で火鉢の上に乗っかって(跨ぐようにして)下半身全体を温かくする・・・などということもやった。

 

小学5年、6年の頃からだっただろうか。

 

ああ、そうそう、寝転がって足を火鉢の上に置き本を読む・・・というのも自分だけがやっていた「お行儀の悪い」行為だった。

 

子どものころから碌なものではありませんねえ……。

 

ちゃぶ台を囲んで小さなサークルを作る家族の姿は、それだけで小さな幸せの象徴のような現象だっただろう。

 

結婚して子供が生まれて・・・、

 

しかしその時代になるともう「新しい我が家」「新しい家庭」には、ちゃぶ台を囲む風景は生まれなかった。

 

本の解説記事には「昭和30年代中頃から椅子式のダイニングテーブルが普及しはじめ・・・」と生活様式の変化が紹介されているが、

 

古い方の我が家で「テーブル」が取り入れられたのは、1970年(昭和45年)に川越に(父親が)家を建てた後だったから、

 

ちゃぶ台には長いことお世話になっていたわけだ。

 

狭いアパートでは脚を折って畳めるというのはずいぶん便利だった。

 

考えてみると、今これを書いているリビングの広さが17畳分。

 

昭和の我が家、アパートの居住スペースは合わせてそんなものだった。

 

そこに5人が20年も暮らしたのだから、生活様式も道具も工夫しながら暮らさざるを得なかった。

 

でもその「狭さ」を特別な狭さ、不幸せとは感じない暮らしがそこにはあったのだ。

 

畳んで部屋の隅に片づけていたあの頃の生活を忘れることはないだろう。