二三日前まではまだ暖かった。

 

何だかここのところの気候は急に寒くなったり暑くなったり、その幅が大きくなりました。

 

色々ついていけないことも増えたけれども、気温にもついていけなくなるのかなあ。

 

ああ、いやだいやだ。

 

そういう訳で、まだ「安心」していた二三日前の話になるのだが、

 

川越水上公園まで自転車を走らせた。

 

ご近所、と言えなくもないと思うが、「近所」の範疇からはやや遠いかな。

 

それでも自転車で行けば30分はかからない。

 

遠いかも、という気持ちが入ってしまうのは、それこそまだ子どもたちが小さかった遥か昔のイメージが残っているからだろう。

 

あの頃は、特に夏の季節は家族連れで大賑わいで、公園内の駐車場に入るまでが渋滞でずいぶん時間がかかった。

 

渋滞にはまる、というのは確か1回だけしか経験していないのだが、その印象があまりにも強すぎて、それからは(かみさんや子どもたちは置いておいて、少なくとも自分は)行かなくなったのだと思う。

 

二三日前は、夏でもないし、寒くもなかったのに、

 

 

 

人の姿はほとんど見られないぐらいだった。

 

子どもたちが大きくなってからは、かみさんと二人でふらっと訪れたこともある。

 

桜の季節に立ち寄ったり、客の少なくなった今時分だっただろうかな。

 

特に重要な「何かをする」という目指す目的はあまりなかった。

 

ただ、ニ三日前、急にここに行ってみようと思ったのには訳があって、抽斗の中にあった古い写真を見つけたからだ。

 

それは、「目的がない」時の写真ではなく、はっきりとした理由があってここを訪れた際のものだった。

これ↑である。

 

裏に97.12.6と自分の字で書いてあった。

 

1997年12月だから、今のこの家を建てて半年あまり経った頃ですね。

 

平成何年?という変換が直ぐには出来ない。

 

子どもの生年月日は「昭和」のほうがスラスラ出てくるのだけれども、それ以降はもっぱら西暦優先になっていますね。

 

外国旅行は西暦でないと覚えていない。

 

まあ、それは兎も角、この写真を見つけて「そうか、水上公園にでも行ってみようか…」と思ったのは、

 

この写真にも深いというか大きいというか強いというか、はっきりとした記憶、思い出があるからである。

 

まず、97年の12月に何故ここに行ったかというと、それは「陶器市」のチラシを見たからだ。

 

確か数か所の「陶器生産地」からの出品だった。

 

広い公園内に多くの商品がずらっと並び、自分とかみさんはそれぞれ好みの品定めをした。

 

かみさんの方が「お高め」だったように覚えている。

 

思ったより「品定め」に合格する品は多かった。

 

この際だから、と、いつもよりは財布のひもをゆるめて、二人とも思っていたよりお気に入りを多く見つけられて上機嫌だった。

 

帰り際、駐車場に向かう途中で写真を撮ったのだ。

 

かみさんに二人分のレジ袋を持ってもらってカメラを構えた。

 

そう、この頃はまだカメラ機能付きのスマホなんて世の中になかったんじゃないかな。

 

で、写した写真は一枚一枚紙焼きにした。

 

現像所に出して、次の日あたりに受け取りに行ったのである。

 

出来上がりの写真をひとつひとつ確認しながら二人で「あの時の想い」なぞを口に出すのが常だった。

 

品物を両手でぶら下げている、このかみさんの写真。

 

これを見た自分は、今でもはっきり覚えているが、思わず大きな声を出して笑い出した。

 

まだ見ていないかみさんは、

 

なにが… (そんなに面白いの??) と疑問符だらけになる。

 

それに構わず、自分はこの写真を手にしたまま笑い続けたのだった。

 

かみさんの恰好が、陶器市の端に並んでいた「タヌキの置物」にあまりにも似ていて・・・。

 

目から涙が出てくるほど笑い続けた。可笑しかった。

 

写真を手にしたかみさんは不満そうではあったが、異を唱えるなどということもなく、

 

つられるように、まあそう見えなくもないわねという感じで、うっすら笑っていた(と思う)。

 

その後も、この写真を何かのはずみで見るたびに「タヌキが・・・」と言って、自分は笑った。

 

つられるかみさんもそれは同じようだった(と思う)。

 

二十数年前のこの写真。

 

撮った場所に、不意に行ってみようかな、という気持ちが湧いたのだった。

 

二三日前、記憶を頼りにたどり着いた公園の場所は、何かの工事中だった。

 

新しい施設でも整備するのだろうか。

 

結局、「元の場所」を突きとめることは出来なかった。

ぐるっと一回りして、この↑池の周りを廻った。

 

この池も、昔、二人で眺めたのだなあ。

 

池のほとりで思い出すことは他にもあったけれど、もう涙の出るほど可笑しいこと、は蘇ってこなかった。