昨日のサンドウィッチマンの「バス旅」の番組は「天城越え」だった。
以前の再放送にプラスして「天城越え」つながりで石川さゆりさんをゲストに加えていたが、正直あまり意味はないように思えた。
それよりも「天城越え」そのものが懐かしかった。
天城を越えて下田に海水浴に行っていたのは、自分が20歳代後半から、どうだろう40歳代半ばぐらいまでだろうか…。
番組にも出てきた「ループ橋」がまだ出来る前から、この道を車で越えて海を目指したのだ。
少ししてからは深夜の天城越えになることが多かった。
渋滞を避けるには、夜から早朝にかけて走るのが最も効果的だったからだ。
あの道の深夜といえば、前後に車はなく、ずっとハイビームで運転していたが、時々前方に
怪しく光る2つの玉が・・・現れた。
野生動物の眼に車のライトが当たって反射するのだ。
ちょっとドッキリするのだが、
かみさんや子どもたちは寝ていたから、それを目撃するのはいつも自分一人だった。
それよりずっと前の話。
確か大学に入った年の夏、友人Yクンと二人で、まず伊豆七島の新島に数泊し、それから船で下田に渡ってそこでも何日か泊まった。
あれは今井浜、と言っただろうか。昼の間はずっと「♪好きさ 好きさ 好きさ」が流れていた。
「♪忘れられないんだ お前のすべて」。
Yクンとはそこで別れて、一人でバスで天城に向かった。
天城山中に八丁池という小さな池があり、その湖畔にこれまた小さなロッジというか宿泊施設があった。
そこから天城を縦走しようというわけである。
その時にバスを降りたのが、番組にも出てきた、旧道の方の古いトンネル入り口だった。
そのバス停からトンネルの上に出る崖のような急な山道を登り、そこからはダラダラと八丁池まで。
何しろトンネルの上部に登るまでで既に汗びっしょり。池までは都合4,5時間かかったような記憶がある。
もちろん古いトンネルの中を歩いたわけではない。
しかし、今見ても狭いね。
当時もバスはトンネル内ではすれ違えなかった。(と思う)
八丁池で一泊し、万三郎岳、万二郎岳、と登り、ゴルフ場の脇から出るバスに乗って伊東に出た。(のだと思う)
途中、セルフタイマーで撮った自分の写真を見ると、連日の長歩きで 傍目にも分かるほどげっそりしている。
あれは疲れたなぁ・・・。
ゴルフ場でバスに座り込んだときの「やれやれ感」は今でも鮮明だ。
1967年夏。
半世紀以上前の夏、一本道の山道で野うさぎが先導してくれた夏、
あのとき背負っていたリュックには新島で かみさん(ではなくてまだ高校生)への言葉を彫ってもらった椿の実のペンダントが入っていたのだ。
あの実に刻まれた『愛』も天城越えをしたのだなあ。