日本出身力士10年ぶりの優勝で盛り上がった大相撲。

(日本人力士、と言わないところが今どきらしい)

美人の奥さんとの結婚披露宴も実にタイミングがよかった。

あのでかい顔がよけいに大きく見えた。


さて、琴奨菊といえば言わずと知れた「がぶり寄り」だが、初場所はそれが見事にはまっているように思えた。

あのように得意技がはっきりしている力士は、最近では珍しいのではないだろうか。

何かと言えば、引く、はたく、決まり手が昔に比べて多くなったような印象がある。


子どもの頃の「すもうカルタ」の文句を今でも幾つか覚えていて、それらは力士の得意技、特徴をよく言い表していた。

潜航艇・岩風。 もその一つ。鋭く当たるというのではなく、立ち合いから両手を突き出すような形で相手の下に潜り込むのを「型」としていた小柄な力士だった。

褐色の弾丸・房錦。
 確かお父さんが行司さんで、色黒で立ち合いのぶちかましが特徴だった。

人間起重機・明歩谷両まわしを掴んだら、何がなんでも吊り上げてしまう…という「つり一筋」のお相撲さんだった。相手が横綱大関でもまわしを掴んだ瞬間には館内が湧いた

上手出し投げ名人横綱・栃錦。当時人気の若乃花に対して「敵役」的な存在だった。栃錦を相手に、内掛けが得意な琴ケ浜が土俵の中央で見事にひっくり返した相撲を今でも覚えている。

土俵の鬼・若乃花。 熱いちゃんこ鍋を浴びる事故で子どもを亡くした場所の相撲は、正に鬼気迫るものがあった。

美男横綱・吉葉山。 15戦全勝の優勝が1回きりの「弱い」横綱だった。何を隠そう子どもの頃は結構負けが込むこの横綱のファンだった。15日間出場して負け越した横綱というのは吉葉山だけだったのでは……。

こうしてみると、昔は大相撲がもっとポピュラーな人気スポーツだったと思える。

琴奨菊は記録に残るような成績は残せないかもしれないが、「がぶる」横綱として長く記憶に残って貰いたいものだ。