テレビのニュースで震災の被害者が諸々の手続きに追われている映像を目にした。
最近は新聞でもよく報道される「罹災証明」。
「罹」が難しいせいか「り災」とも書かれる。
そういえば数年前、テレビに出演していた(小難しい理屈を並べる)評論家が
「ら病が…」云々・・・
と言っているのを聞いて、
一瞬文脈が途切れて何を言っているのか分からなくなってしまったことがあった。
「はは~ん。 どうやら〈罹病〉の「罹」 を 「羅」 と間違えているんだな…」
と合点した。
その分野では高名な評論家らしかったが、
「オジサン、数十年間あちこちで「ら病」と言っていたんだなぁ」
とちょっと気の毒になるのと同時に、
何だか急に言っていることも大したことはないように思えてきた。
それが今回の問題ではなく、その「罹」「り」どちらでもいいですが、
震災被災者が手にしている申請用紙に
「り災・被災・◯◯・・・」
と分類が書かれていて、どれか当てはまるものに◯をするらしい様子が映った。
「り災」と「被災」の区別って分かります?
被災者(罹災者ともいう)がすぐ判断できる明確な意味の差ってあります?
因みに広辞苑では…
「罹災・・・災害をうけること。被災」
「被災・・・災難をうけること。罹災」
とある。
「害」と「難」の差だけですね、あるのは。
まあ恐らく「直接災害で受けた被害が罹災」で
「災害によって(間接的にでも)起きた被害が被災」というような区分があるのだろう。
しかしですよ、広辞苑でも
お互い 被災だ、罹災だ と同じような意味だと言っているじゃあありませんか。
申請する段階で、厳密に被害の状況を分けて書かなければならない
積極的な意味合いはあるのだろうか。
こういう(たぶん)お役所都合の区分を、何の疑問も持たず被災者(罹災者?どちらでも良い)に
平気で書かせるというところに、またぞろ「お役所仕事」という言葉を思い出してしまった。
被害は被害なのだから、この際余計な煩わしさをかけないという意味でも
罹災であろうが被災であろうが、どっちでも受け付けてあげればいいのでは…と思うのだが。
最近は新聞でもよく報道される「罹災証明」。
「罹」が難しいせいか「り災」とも書かれる。
そういえば数年前、テレビに出演していた(小難しい理屈を並べる)評論家が
「ら病が…」云々・・・
と言っているのを聞いて、
一瞬文脈が途切れて何を言っているのか分からなくなってしまったことがあった。
「はは~ん。 どうやら〈罹病〉の「罹」 を 「羅」 と間違えているんだな…」
と合点した。
その分野では高名な評論家らしかったが、
「オジサン、数十年間あちこちで「ら病」と言っていたんだなぁ」
とちょっと気の毒になるのと同時に、
何だか急に言っていることも大したことはないように思えてきた。
それが今回の問題ではなく、その「罹」「り」どちらでもいいですが、
震災被災者が手にしている申請用紙に
「り災・被災・◯◯・・・」
と分類が書かれていて、どれか当てはまるものに◯をするらしい様子が映った。
「り災」と「被災」の区別って分かります?
被災者(罹災者ともいう)がすぐ判断できる明確な意味の差ってあります?
因みに広辞苑では…
「罹災・・・災害をうけること。被災」
「被災・・・災難をうけること。罹災」
とある。
「害」と「難」の差だけですね、あるのは。
まあ恐らく「直接災害で受けた被害が罹災」で
「災害によって(間接的にでも)起きた被害が被災」というような区分があるのだろう。
しかしですよ、広辞苑でも
お互い 被災だ、罹災だ と同じような意味だと言っているじゃあありませんか。
申請する段階で、厳密に被害の状況を分けて書かなければならない
積極的な意味合いはあるのだろうか。
こういう(たぶん)お役所都合の区分を、何の疑問も持たず被災者(罹災者?どちらでも良い)に
平気で書かせるというところに、またぞろ「お役所仕事」という言葉を思い出してしまった。
被害は被害なのだから、この際余計な煩わしさをかけないという意味でも
罹災であろうが被災であろうが、どっちでも受け付けてあげればいいのでは…と思うのだが。