2026.4.5 

 

40代後半にかけて、どんどん自分が醜くなっていくような気がしていた、鏡を見るたびに「あーあ・・」と落ち込んできた。なんとかその気持ちを払拭したくて、上辺だけを変えることに注力していた。

メイクにしろ、髪型にしろ、その時は「イイ感じ」と思っても、誰も褒めてくれない、気づいてくれない、自分より満たされていそうな人を見つけると、即座に落ち込んでいた。

最近ではため息をつくことも少なくなったけど、いつも大きなため息をついていた。

そんな私だったけど、自分のことを「もういいや」「もう諦めよう」とは思えなかった。

自分が変わるためにまだ何かできることはあるんじゃないか、と醜くなっていく自分を手放せなかった。

 

しかし長い間、ずっと見つからずに過ごした。何かを始めてみるけど、何かが変わりことはなかった。

今から思うと自分で囲ったゲージの中でただ右往左往していただけだったと思う。そのゲージの存在は知っていたけどその外に出るには、もっといい女になってから、もっといい妻になってから、今の自分では出られないと思い込んでいたんでしょう。

 

今でも忘れられない光景がある。お風呂には全身が見える鏡がある、ダイエットに成功はしてけど、ただ細いだけで、思っていた未来にはたどり着けていない私がそこにいた。女として終わっていると感じたのです、こんな体では誰からも愛されないとひどく落ち込んだのです、

 

そして「もう諦めようかな・・」と頭をよぎりました、その瞬間のことを私は鮮明に覚えているのです。

しかし諦められなかった、自分を諦められなかった「もうこのままでいいや」とは思えなかったのです。じつは、今から思い返すと「諦めよう」と思った最後の日だったかもしれない。

 

その後「諦めた」記憶がないから。

 

今、こうしてブログを書きながら思うのは「あの日のあの光景」が「諦める」を捨てた日だったかも。

その後もため息は続いたと思う。

 

だけど、細い、薄いきっかけから掴んで離さず手繰り寄せる日々が始まったのと思う。