あっという間に凋落 藤原伊周

先ほど見ました、「光る君へ」の第20回「望みの先に」と第21回「旅立ち」。時代は995年~996年のお話です。

今回も歴史用語がけっこう出てきました。第20回の用語集が番組公式サイトに出ていますので紹介します。

用語集 大河ドラマ「光る君へ」第20回より - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK

 

こういう用語集などの解説をドラマと合わせて見ると、当時の時代の歴史勉強の効率が上がるのでおススメです。

余談ですが、大河ドラマは、特に「光る君へ」は、字幕付きで見た方がわかりやすいので、字幕表示で見ることをおススメしています。

 

ここからはネタバレになりますので、まだ見ていない方はご注意ください。

大河ドラマ「光る君へ」 - NHK

なお、私は歴史ドラマは「ドラマとして面白ければいい」と考えています。歴史にあまり興味がない人が興味を持つきっかけになることが一つの重要な効果だと思います。なので、通説や異説と異なるストーリーであっても構わないと思っています。むしろ、説得力があって斬新な切り口で描かれた方が面白いと思っています。感想はあまり飾らずになるべく素直に書きますが、大河ドラマや『光る君へ』を貶めるつもりはまったくありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・あっという間に凋落 藤原伊周の都落ち

前回までは道長と関白の位をめぐって争っていた藤原伊周。父・道隆の代は我が世の春を謳歌し、たいへんな奢り高ぶりの様子でしたが、ここに来てあっという間に凋落。惨めな姿をさらすこととなってしまいました。元はと言えば、伊周自身の勘違い(妾が他の男を呼び入れてしまった、という)から始まり、そこに無鉄砲な弟の隆家が加わったことで、たいへんな騒動に発展。そこからは、あれよあれよと別の嫌疑も畳みかけられてあえなく流罪となってしまいました。

若い時は、文武両道・教養も高いイケメンプリンセスという役どころだったのに、最後は惨めに落ちぶれていく姿が、たいへん印象的になりました。これまで私は、藤原伊周なんて名前をかすかに知っている、くらいの知識しかなかったのですが

 

父の死後、あっという間に凋落した上級貴族

 

というイメージが定着しました。清盛死後の平家の都落ちよりも早いです。しかも、平家は武力で敗れた結果ですが、伊周の場合はほぼ自滅みたいなものなので、散り際の美しさ、というものもありません。「何してるんだろう?この人」と思ってしまいます。

そんな難しい役どころを演じた三浦翔平氏の演技力には感服いたしました。

 

 

・わりとあっさり 藤原隆家

発端は伊周の勘違いとはいえ、事態を決定的に悪くしたのは、相手確認も怠って矢を放った隆家です。矢を放った張本人は隆家なので、伊周よりも隆家の方が罪は重いと思います。ところが、隆家は伊周よりも事態をあまり重く受け止めておらず、出雲への配流も最後には受け入れて自分で旅立っていきました。逃げ隠れしていた伊周とはエライ違いです。潔さを感じます。

でも、ここまで大事にしたのは隆家なんですけどね。

 

そんな隆家が、この時からおよそ20年後の1019年、異民族である刀伊(とい)が九州に攻め込んできた時に、博多で日本軍の指揮を執って撃退しているわけですから、人生わからないものです。

 

 

・人間ができすぎている藤原道長

忘れてはならないのは、伊周らの都落ちを決定的にした要因の一つは、女院と道長を呪詛した、という嫌疑です。これに関しては、道長の妻・源倫子が仕組んだ自作自演ということでした。ハッキリと明示されませんでしたが、倫子の発言内容や、自ら調べようとしたのに倫子の反応を見て納得した道長の様子から、そう判断できます。道長が調べたら、呪詛の真犯人は倫子だ、とわかってしまいますからね。

それにしても、「光る君へ」の藤原道長は、人間ができすぎている感じがします。いわゆる「聖人君子」に近い存在で、人間ができすぎています。ここまで「いい人」に描くのはやりすぎな感じもしますが、今後はどういう話になっていくのか、期待できます。

 

 

・史料に残る「長徳の変(花山院乱闘事件)」はどんな内容?

細かい話ですが、私が調べてみたところ、長徳の変の発端については現存史料は曖昧にしか記録されていない、ということでした。

まず、隆家が花山院に矢を放った件については『大鏡』に記されています。隆家の放った矢が、法皇の衣の袖を射抜いたそうです。『光る君へ』では、もう少し外れて塀に当たっているので『光る君へ』は少し緩くしたのでしょう。一方、辛口コメンテーターである藤原実資の日記「小右記」は、なんと事件の日付近は記録が脱落してしまっているそうです。その代わり、その部分の写しと考えらえる「野略抄」に、花山法王の従者2人の童子の首を斬って持ち去った、となっています。『光る君へ』では、童子ではありませんが、従者2人が死んでいます。この部分も、『光る君へ』の方が、隆家の行いについてやや軽い扱いにしています。大河ドラマなので、さすがに童子を殺すシーンにはできない、という配慮もあるのでしょう

次に、そもそもの発端となった伊周の勘違いについては、「大鏡」には「光る君へ」と同様に記録されているそうです。なので、「光る君へ」は「大鏡」の記述を採用したと言えます。ただ、辛口コメンテーターの日記の写し(と言われる)「野略抄」には、事件の発端となった「勘違い」の背景については一切触れられていない、とのこと。

なので、史料に準拠しながら話を面白くするためには「光る君へ」の筋書きが一番「史料準拠の大河ドラマらしい」かつ面白い話になっていると思います。