奢れる者は久しからず 道隆早くも死す

先ほど見ました、「光る君へ」の第17回 うつろい。時代は995年頃のお話です。

今回も歴史用語がけっこう出てきました。第17回の用語集が番組公式サイトに出ていますので紹介します。

用語集 大河ドラマ「光る君へ」第17回より - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK

 

特に「飲水の病」は面白いですね。これは現代でいう「糖尿病」のことです。糖尿病の症状はいくつもありますが、その中の一つで特徴的なのが「やたらとのどが渇く」ということ。もちろん、当時は糖尿病のことは知られていないので、症状から病名が付けられた、というわかりやすい一つの事例だと思います。

 

ここからはネタバレになりますので、まだ見ていない方はご注意ください。

大河ドラマ「光る君へ」 - NHK

なお、私は歴史ドラマは「ドラマとして面白ければいい」と考えています。歴史にあまり興味がない人が興味を持つきっかけになることが一つの重要な効果だと思います。なので、通説や異説と異なるストーリーであっても構わないと思っています。むしろ、説得力があって斬新な切り口で描かれた方が面白いと思っています。感想はあまり飾らずになるべく素直に書きますが、大河ドラマや『光る君へ』を貶めるつもりはまったくありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・藤原道隆の最期と豊臣秀吉の最期

策略家だった父・兼家の嫡男として藤原家の当主となった道隆。その治世は、身内固めと公金の流用、疫病の放置と悪政のオンパレード。辛口コメンテーターの藤原実資でなくても、批判が噴出する内容でした。そんな中、自分の死が近づいていることを悟った道隆は、狂気にかられた人間のようになってしまいました。汚れ役と侮っていた道兼に「子供たちに酷いことをしないでやってくれ」と懇願し、一条天皇の御簾を上げて関白職を伊周に継承させることを約束させようとしたり、娘であり中宮の定子に皇子を産むように迫るなどなど、その姿を見ていると私は

まるで死を間近に迎えた豊臣秀吉のようだ

と思いました。

 

ここで、「光る君へ」で描かれた藤原道隆について改めて考えてみたいと思います。当初から、兼家の後継者と目されており、汚れ役を負わされた次男の道兼とは異なる「いい人」ポジションの人でした。人柄は穏やかで愛妻家。上級貴族として十分な教養も身につけており、後継者として妥当な人物のようでした。ただ、この頃から謀略家である父・兼家とは異なり、政治や策略にはあまり強くなく「お坊ちゃま」な人だったと思います。

そんなお坊ちゃまが後継者となると、その政治は「ワガママ」。道隆にとって、関白たる自分は実質的な日本のトップであり、天皇と言えども娘婿。道兼や道長のように現場や苦労を知らない分、上記のような「世間知らずのお坊ちゃまが権力を握った結果」となるのも納得です。

 

「大鏡」などに記載されている道隆像は、また少し違った人物のように描かれているようですが、「光る君へ」の道隆像はかなり説得力があったと思います。

 

 

・母后が決める関白の後継者 藤原氏による政治の私物化

一方、道隆以外の藤原一族はどうかというと、正直なところ大した違いは無いと思いました。というのも、一条天皇の母・詮子は

 

道兼兄も好きではないけど、伊周はもっとイヤ。なので、関白職は兄弟順で

 

と言っているからです。態度がデカい伊周は視聴者からも嫌われる存在なので、その伊周を追い落とそうとしている詮子は正義の味方のように見えるかもしれませんが、政治を一家のものとしようとしている、という点では道隆一家と変わりありません。そもそも、国家の重職を一族で独占しようとするのが当時の藤原氏のやり方です。その権力闘争で誰が勝ったとしても、独占者が変わるだけで本質的な部分は同じ。「貴族政治」という分類から別物になるわけではありません。

こういう点が、藤原氏の摂関政治の強みでもあり弱点もあったのだと思います。私物化された政治では、不利な扱いを受ける被支配階級の支持を得ることは到底不可能であり、やがて対抗する勢力に取って代わられることになるでしょう。それが、日本の場合は武士でした。武士が台頭して平清盛が登場し、そして源頼朝によって武士の時代へと変化していった、根本的な要因といえるんじゃないかな、と思いました。

 

 

というわけで、かなり面白いです、「光る君へ」。次回も楽しみにしています!