朝鮮の陣始まる

先ほど見ました、「どうする家康」の第38回「唐入り」。1592年(文禄元年)、家康は満50歳になる年のお話です。

 

ここからはネタバレになりますので、まだ見ていない方はご注意ください。

番組紹介 | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK



なお、私は歴史ドラマは「ドラマとして面白ければいい」と考えています。歴史にあまり興味がない人が興味を持つきっかけになることが一つの重要な効果だと思います。なので、通説や異説と異なるストーリーであっても構わないと思っています。むしろ、説得力があって斬新な切り口で描かれた方が面白いと思っています。感想はあまり飾らずになるべく素直に書きますが、大河ドラマや『どうする家康』を貶めるつもりはまったくありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

<あらすじ>

年老いてから初めて得た嫡男・鶴松が病死した。泣くどころか、笑いだして明を取ると豪語し、本当に朝鮮遠征を始めた秀吉。序盤は日本軍の快進撃が続いたが、水軍が敗れ、形勢は悪くなっていた。しかし、石田三成らはこれを秀吉に知らせていない。家康は三成を説き伏せて秀吉の出陣は思い留まらせたが、実情を調べているうちに、秀吉は茶々のために戦をしているのではないか、と思い始める。1対1で「惨めぞ、秀吉」と迫る家康に押され、ようやく茶々を遠ざけた、戦は終結するかのように見え矢先、再び茶々が妊娠したとの知らせが届いた。異常なまでの秀吉の喜びように家康らは戸惑いを隠せなかった。

 

・朝鮮の陣は茶々のため?

今回のテーマは

秀吉は茶々を喜ばせたいがために明・朝鮮と戦をしている

という話でした。秀吉の朝鮮出兵の原因はいろいろとありますが。茶々のため、という筋書きはかなり斬新でした。正直なところ、いくら晩年の衰えた秀吉といえども、この時点ではそこまで愚かだったとは思いません。

ただ、天下を巡って家康と激闘を繰り広げた小牧・長久手の頃とはすっかり変わってしまったことを視聴者に印象付いたことは間違いないでしょう。

 

 

・強さが逆転している家康と秀吉

母の死を看取ってから名護屋城に帰ってきた秀吉と家康の1対1で向き合うシーンが印象的でした。表面上は、天下人である太閤・秀吉とそれに従う大納言・家康なのですから、主従関係にあります。しかし、秀吉はだいぶ老け込んだ老人であるのに対し、家康は気力も充実している壮年。「惨めぞ、秀吉」と挑みかかる家康に対し、なすすべもなくひっくり返された秀吉。

1対1では、完全に家康が秀吉を圧倒する存在になっていました。

秀吉にかつての才気が失われている、ということをわかりやすく表現していたと思います。

ちなみにこの時点(1592年?)で秀吉は満55歳です。当時の感覚では老齢の域だったのでしょうが、現代の感覚からすると、老けすぎているようにも感じます。

 

・足利義昭 経験者は語る

今回、どういうわけか足利義昭が久々に登場。省略されてもいいくらい、朝鮮の役には関わっていないのに、わざわざ登場した理由は何なのか、と思って見ていましたが

失敗の経験者として秀吉に語る役割

でした。実際に足利義昭が秀吉にこのような失敗談を語った、という話は残っていないと思いますが、この時点で生き残っている(いちおう)天下人だった足利義昭をうまく使っているな、と思いました。

ただ、彼の場合は家康や秀吉と違って、戦国大名と渡り合う実力も気力も足りなかったので、例え正しい情報が伝わっていたとしても、滅亡寸前の足利将軍家を保つことはできなかったと思います。

 

 

今回は秀吉の老衰と茶々の悪役振りを目立たせる回で、個人的にはちょっとありえないストーリー展開だとは思いましたが、一つの物語としては面白かったと思います。

次回で年代は一気に進んで秀吉はくたばる(表現がとがってますね)みたいですが、次回も楽しみにしています!