オーストラリア原潜反対意見も 

 

昨日のニュース。以前から着目していた↓

オーストラリアの原潜導入計画の続報です。

 

豪元首相2人が原潜反対 AUKUS「最悪の合意」(共同通信) - Yahoo!ニュース

 

以下、記事の抜粋

豪元首相2人が原潜反対 AUKUS「最悪の合意」

配信

 

共同通信

米英豪の安全保障枠組み「AUKUS」について話すオーストラリアのアルバニージー首相=13日、米サンディエゴ(ゲッティ=共同)

 【シドニー共同】オーストラリアのキーティング元首相が15日、米英豪の安全保障枠組み「AUKUS(オーカス)」に基づく原子力潜水艦の導入について、巨額の費用を理由に「歴史上最悪の合意だ」と批判した。ターンブル元首相も16日、原子力産業のないオーストラリアには技術者が少なく「非常に大きなリスクを伴う」と反対した。  与野党の首相経験者による攻撃に国内で衝撃が広がっている。アルバニージー首相や閣僚は終日、釈明に追われた。  キーティング氏は1990年代に首相を務めた与党労働党の重鎮。15日に全国記者クラブで講演し、オーストラリアで広がる中国脅威論について「歪曲であり真実ではない」と主張した。  13日に米サンディエゴで行われた米英豪の3首脳による記者発表を「歌舞伎ショー」とやゆ。バイデン米大統領とスナク英首相がうれしそうにしていたのは、オーストラリアが最大3680億豪ドル(約32兆円)を「米英の軍事産業に支払うからだ」と皮肉った。』

 

国家の大きな決断なので、反対意見があるのは当然です。それは当然ですが、揶揄する例えが「歌舞伎ショー」ってどういう意味で使ってるんでしょうね?

 

 

 古代オリエント

 

みなさまおはようございます。big5です。

 

私が運営している歴史サイト「世界史日本史研究室 北の陣」にて

 

古代 古代オリエントの興亡 世界史日本史研究室 北の陣 (zashiki.com)

 

をアップロードしました。

 

先週アップロードした

古代 古代メソポタミア 世界史日本史研究室 北の陣 (zashiki.com)

 

の続きにあたります。

 

アッシリアによって史上初めて統一された広大なオリエント地方でしたが、武力のみに頼り切りのアッシリアの統治は長続きせず、各地で反乱が勃発してたちまち崩壊。オリエントは

1.エジプト

2.新バビロニア

3.メディア

4.リディア

の4王国分立時代となりました。

 

ところが、この4王国分立時代を再び統一したのは、4王国のどれでもない新興の

 

アケメネス朝ペルシア

 

でした。このアケメネス朝は、やがて大軍を率いてギリシアに攻め込み、ペルシア戦争となります。古代ギリシアの時代の始まりです。

 

 

 

  ほぼコメディー 側室を巡る家康と女性陣

先ほど見ました、どうする家康の第8回「三河一揆でどうする」。劇中で明示されませんでしたが、1564年(永禄7年)家康、満21歳になる年くらいのお話です。

今回は家康の側室として実在した「西郡の局」を軸に、家康と瀬名をはじめとする周囲の女性たちが描かれていました。男はほとんど登場しなかった感じがしますね。

 

 

 

ここからはネタバレになりますので、まだ見ていない方はご注意ください。

番組紹介 | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・古沢良太流 コメディー全開の回

家康と西郡の局の話は、あまり史料も残っていないようで、詳しいことはあまりわからないみたいです。西郡の局が生んだ娘の「ふう」(督姫)は、最初は北条氏直に嫁ぐ、北条滅亡後は池田輝政に嫁いでいますが、なんと督姫の生年は1565年と1575年の2つの説があるそうです。今回は1565年説をとったみたいですね。10年違ったらかなりの違い。家康が側室を取ったのに、それがいつなのか10年も開きがあるということは、いろいろと解釈できる余地がある、ということになります。なので、脚本家の想像で描く部分が多い物語ですね。

側室のオーディションからはじまって、家康との床入り、そして最後のオチと、ヒントを出しながらも、結末が見えにくかった展開は、古沢良太氏の脚本らしいな、と思いました。

 

 

・芯が強い瀬名と子供っぽさを残す家康

今回、注目したのは瀬名の描き方です。まだまだ若い(24or25歳)のに、義母様から「年に関係なく、もう子供が産めないならお役御免」という、問題発言を言われてさすがに泣き出してしまいますが、側室を取ることについてはほとんど反対せず、むしろ自ら審査にもあたっていました。これはもう、家康の母 or 姉、みたいなかんじです。

現代とは違い、大名が側室を取るのは一般に行われていたことです。なので、自分の夫が側室を持っても、それは当然のことでした。ただ、そうはいっても、当の本人の心中は穏やかではなかったのでは?と私は思います。嫉妬にさいなまれることも多かったのではないかと思います。ところが、『どうする家康』の瀬名は、少しも怒らず、家康の助けとなれる女性を真剣に選んでいました。なんて広い心なんでしょう。

そして、最後に事実上お葉を離縁した家康から事の顛末を聞き、「小柄で~~~芯が強い女子がよい」というセリフを聞いてにっこり笑みを浮かべたシーンが印象的です。あのセリフは瀬名自身があてはまるものなので、「私が家康様の好みのタイプ」と確認できたのが嬉しかったのでしょう。そして、これで嬉しいと感じる瀬名はもう20代半ばにして仙人の境地に達している、と思いました。

それに比べると、家康はまだまだ子供っぽいというか、学生のノリみたいな軽さを感じました。

 

そう考えると、やがて訪れる不幸な事件はどう描かれるのか?あまり考えたくないのですが、どのような最後になるのか、気になってしまいます。。

 

 

次回はいよいよ武田信玄、本格的に登場か。

次回も楽しみです!