おかげさまで映画『殿、利息でござる』は大ヒット
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いわて銀河で走りそびれた距離分を補うとともに、話の舞台である大和町(たいわちょう)吉岡を観光ランしてきました
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吉岡の街道沿いには立派な看板ができてました。
ここで改めてこの映画のあらすじを申し上げますと…。
今から約250年前の江戸時代、江戸と東北の諸藩を結ぶ街道の宿場町だった吉岡宿。
お上の物資を隣の宿場から受け取り次の宿場へと運ぶ、伝馬役(てんまやく)を担っていました。
馬を買い、育てたり、人件費を支払ったりするのはすべて吉岡宿の負担。
仙台藩自体が困窮して重い年貢を課せられた上、直轄領ではないので助成金ももらえず、さらに奥州街道と出羽街道が合流する場所の宿場だったため、伝馬役による負担が大きく、次第に町は衰退して行きました。
そんな町の将来を危惧し立て直しを図ったのが穀田屋十三郎(こくだやじゅうざぶろう)や菅原屋篤平治(すがわらやとくへいじ)ら九人の篤志家たち。
己を捨て、ただ町のため人のために私財を投げ打ち、一家離散も覚悟の上で千両を工面して仙台藩に貸付け、その利息を得ることによって吉岡宿を破たんの危機から救い出しました。
…という話です。
すごいと思ったのは、千両を工面する際に生まれた『つつしみの掟』の存在。
喧嘩をしてはいけない、出資者であることを口外してはいけない、道を歩くときはできるだけ端っこの方を歩き、宴会の場ではそっと末席につきましょう…などなど。
これぞまさに日本人の美徳という感じがしますね。
そして極めつけは、もし大願成就しても子孫の代に至るまで口外することなく慎みましょう、というもの。
この掟がしっかり守られ慎んできたため、この話自体が世の中に広まることはありませんでした。
そんな中、九人に対する感謝の気持ちを忘れないために龍泉院(りゅうせんいん)の住職栄洲瑞芝(えいしゅうずいし)によってこの窮民救済事業の内容がまとめられました。
それが『国恩記』で、その顕彰碑が九品寺に2003年に建立されました。
中心人物の一人、穀田屋十三郎役を演じた阿部サダヲさんもこの地を訪れています。
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九人の篤志家と国恩記の筆者、栄洲瑞芝の名前が彫られています。
また、その隣には茶師、菅原屋篤平治とその妻なつが眠るお墓が立っています。
当時は夫婦が一つのお墓に入るのは珍しく、その仲の良さを物語っています。
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劇中でも仲むつまじい様子が。
九品寺をあとにし、少し西へ行くとすぐに龍泉院があります。
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国恩記をまとめた住職さんがいたお寺。
上町、中町、下町とあって、上町は今でも名前がそのまま残っています。
妻夫木聡さん演じる浅野屋の流れを汲む浅多屋さんも上町にあります。
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国恩記の説明や関連グッズの販売、ガイドツアーの受付・実施などが行なわれています。
中へ入ると記帳をお願いされ…。
「亘理町」と書くと「亘理からも結構いらっしゃってますよ~。」とのこと。
私の格好を見て、「もしかして自転車できたんですか」
「あ、いえ、走ってきました」
「えっ………(絶句)」
「あ~~、いえいえ、車で来て途中から走ってきたんです」
驚かせてしまいました
写真を撮っても構わない、ということだったので少し撮らせてもらいました
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菅原屋のお茶の看板。
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左から主演の安部サダヲさん、「無私の日本人」の原作者磯田道史さん、中村義洋監督のサイン。
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「おかみさんじゃありませんよ」のページが開かれた台本。
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伊達重村命名の「春風」がここに復活。
案内所をあとにし、今度は中心人物たちが暮らしていた中町へ。
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説明書きもちゃんと立っています。
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別の場所にはこんなシャッターアートも。
そしてなんと穀田屋さんは今もなお残っています。
造り酒屋でしたが今は製造はしておらず、販売のみ。
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穀田屋十三郎役の阿部さんも感慨深げ。
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ここは案内板しかありませんが。
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映画の中では、温泉掘りにお金がかかるので最初は出し渋っていました。
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早坂屋さんの外観。
と、こんな感じでゆかりの場所を見て回りました~
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案内マップ
吉岡宿本陣案内所は午前9時30分から午後4時まで。
毎週火曜日および年末年始は休業ですが、8月末までは無休だそうです。
くわしくは大和町のHPを見て下さいね~。
…って今日は全然ランレポじゃないな
さぁ~次は大衡村へ行ってみましょ~