大学へ通いはじめた年の夏 母は肺がんになり

翌年には脳へ転移し壮絶な闘病生活の後亡くなった・・・


母の生きているうちにとあわてて結婚させた姉はその後

母のめんどうを看る事もなく

姉と結婚した義理の兄は姉にめんどうをみろと言ってるのかと啖呵きり

膳をぶっ叩いて私と父の前を去っていった・・・


姉と義理兄の間にはブラックリストに乗っていると謳われる

どーしよーもない盗人と暴力癖のある甥が育った


怨むつもりもない変わりに他人と定義づけ

こんりんざい頼る事もしないしなにかをしてやる事もないと

かたくなに思い続けていた・・・

そんな他人が時を経て 親族というレッテルを掲げにじり寄ってきた


姉の病気にはドナーが必要だった

何かをしてやる事は絶対にないと誓ってはいたものの

余命4ケ月の姉を助けられるのは唯一私しかいない


この病気は入院生活が長く多額の費用も必要だった

義理兄は毎日のよーに酒を浴び

姉の病気を苦に 雪の多い寒い12月の夜

飲み屋からの帰宅後風呂場で心筋梗塞を起こし亡くなった


結果 姉はドナーのみならず経済的にも頼るとこがなく

さらに深くにじり寄ってきた・・・


やがて市立病院からガンセンターへ転院がきまり

数か月後やっと主治医に説明の呼び出しを受けた・・・


しかし 主治医の説明は意外だった・・・

"ほんとにこの病気だったんかいなというくらい良くなっています

 退院して様子をみさせてください

それでも急におかしくなるようでしたら 弟さんにドナーになってもらい

 移植を行いましょう"  という内容だった


なにか気持に整理がつけられず生殺しにされたような気分ではあったが

結局この後 姉は5年生き この病気でいう寛解期間を送る事ができた

ただ その5年が生きててよかったものなのか不幸なのか

どうしようもない息子をかかえ 体は日に日に曲がって行き

親族一同からもお荷物扱い(実際には)を受け

死ぬより悲しい思いを味わい息を引き取ったのではないだろうか?


他人と定義づけてはいたもののこの家族のめんどうをみるのは

あまりにも過酷だった 万引きで逮捕され迎えに行っても

やってねえと言い張り警察をあざむくどーしよーもない甥

姉の棺を霊柩車へ運び入れる時手放したバック毎香典代を盗み

それを盗まれ怒り狂う馬鹿八百な父・・・

甥の部屋をひっくり返しまくり家探しするが盗まれたものをみつけられず

弁償しろと逆に10万かつあげされる


その10万がないとぼやく父に 文句言いながらもめんどうは看た

その分 俺がこずかいをやるからその中から10万払えと

数十万を父に渡した・・・

これらの日々の苦悩を詳細に書く事はあまりにも忍びない

前向きになれない心の長い長い地獄だ

姉の死をもって ひとつの騒動は収まり小康状態に入った・・・


しかし ひと息つけたかと思った数か月後

体の中に起こりはじめていた異変が顔をだしはじめた

そいつを医学界はこう呼ぶ   "潰瘍性大腸炎=UC"





・・・・・・・・




母の長い闘病生活は最後 とある病院で終わった

徹夜でこもりっきりだった病院を後にしたのは

4月の桜満開の時期だった・・・



親の死というものを体験した事のなかった私は

母が亡くなる瞬間 気がくるってしまうのではないかと怯えてたが

闘病生活が長く 心の準備が十分にできていたせいか

わりと冷静にいられた





満開の桜を見ながら思った


" 人の世に なにがあろうと 桜は咲く "



~ 桜 ~






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