皆様、新年明けましておめでとうございます!
愉快な一年に致しましょう!
昨年の10月に種子島に移住して2カ月余り…、今までの人生には無かった思いで過ごして来ました。
何年か先のことを考えてとか暮らして来なかった吾輩ですが、人生も後半になって初めて数年後の″プラン″というものを持って生きることにしたのです。
それも
「少し世の中の役に立ってみたい」
という思いが発端になるなんて、本当に歳をとるって素晴らしいですよね。
吾輩のようなクソガキだった人間がそう思うようになるなんて考えてもいませんでした。
自分でも想像外のことなので、吾輩の兄弟、友人知人にとっては失笑してしまうようなことなのでしょう。
それを踏まえてでも
「やり遂げればその失笑もとまる」
と思ってしまうのだから、加齢による思い掛けない方向転換には胸がときめきます。
これが大人になるということかと、普通なら三十代四十代で感じることを還暦間際で経験している自分も愉快です。
子育てを始めて数年の頃に大正生まれの母親の前で子供をきつく叱った時に、その母親から
「お前(清志)がよくそんな偉そうなことを言えるな、お前がこのくらいの時は……」
と言いかけた時に
「 子育ては自分のことを棚に上げていいんだよ、自分がこれぐらいの頃はどうだったかなんて考えながらやってられるか!」
そう言い返したことがあります。
母親は孫が叱られるのが切なかったんでしょうね。
人間は社会的な生き物ですが、それでも何より大事なのは自分の納得なのではないでしょうか。
あとは…
求めるその納得が社会とか行政に迷惑を掛けない範囲での選択になることを、教育とか経験で身に付けることが大事なのでしょうね。
終わりよければ全てよし!
という考え方がありますが、なんとも救われる言葉ではありませんか。
悔い改めれば救われると言うよりも、まどろっこしくもありません。
自分の目指すところなのかも知れません。
「ろくでもないクソガキだったけど、最後は少し世の中に貢献するから見逃して欲しい」
そんな思いを亡き父親に亡き母親に、姉に兄に、親しき友人に、そして身近で吾輩の生き方を見てきた我が子へ届けたいのかも知れません。
自普通に暮らせていける大人ではないことを自覚しつつも、それでいいとばかり思って来た自分が今普通の大人になろうとしている。
やはり順調に歳を重ねるということは愉快で、幸せなことであります。
はい、左様なり♪