自分は選ばれし民だと勘違いしていた供の頃
「どのような使命が与えられているのか」 
などと考えていたクソガキでした。

ただのイタイ子供です。

成長するにつれて遥かに優秀な友人に出会い
自分の器に絶望しました。
「俺は何のために存在するのか」
あまりに凡庸な自分の代用代はいくらでも存在することに、生きていくことの意義を失くしてしまうのです。

自分が親になり子育てをしていく中で、突然気付くのです。
「そうか、俺は何もしなくていいんだ」
それまで人生をまるでマラソンのように考えて
「ゴールまでに何をすべきか」
そう考えていたのが、大きな使命は我が子を世の中に出すことなのだと気付くわけです。

全く単純なそんなことに辿り着くにも、理性があるばかりに遠回りしてしまいます。

人生はマラソンではなく駅伝なのです。

人生で何も世の中に有益なことが出来なくても、もし我が子やそのまた子供がそれをした時……

自分の存在があったからではないですか。 

子供の存在は様々なことを考えさせ、気付かせてくれます。

そんな吾輩の子育ても大きな区切りがつき、そして……
我が家の子供たちが小さい頃から娘で一番先に結婚するのは次女の柔美だと言って来ましたが、予想は見事に的中しました。 
次女の旦那は若い男にありがちな無駄なエネルギーを発するところもなく自然体で、好感をもてる青年です。

有り難いことです。

柔美は五歳ぐらいの時にはもう小さな妹の世話をするようになり、中学に入ってからも歳の離れた紬美の面倒をとよく見てくれる娘でした。
 
母親としての資質とは何だろうと考えると、とてもシンプルに
〃子供を大事に思えるかど〃
ということに凝縮される気がします。

子育ては犬でも猫でもしてることです。

考えれば考えるだけいい子育てが出来るというは勘違いです、こういう大人にと思ってもそうは育ちません。
自分らしく親をやりながら、あとは子供の感性に委ねるしかありません。
真面目にコツコツ人生を歩む親を見ながら
「俺も親父みたいになりたい」
と思う息子と
「もう少し器用に生きればいいのに」
と思う息子がいるわけです。
子供が反社会的な人間になっても親の責任ではありませんし、逆にどんなに立派な人間になっても親の手柄ではありません。

そう思えば少し子育てが気楽になります。

基本的なところに
〃子供は大切な存在〃
だという思いがあれば好きなように育てていいのです。 


孫が誕生するということは血統の中における存在意義がいよいよ薄れて来たと言えます。
残りの人生を自分の為だけに生きて良いということでもあります

まだまだ楽しめそうです。

おめでとう!