年齢を重ねるというとは本当に面白いなと思うこの数年です。
「俺にこんな感性があったんだ」
とか
「俺がこんな風に考えるようになるなんて」
という、新しい自分との出会いがとても新鮮なんですよね。
いま魚の捌き方の修行をしているのも、いずれは自分で食堂をやろうと思っているからです。
どこか海に近い郡部に店舗を探して、子供には経済的な負担無しで温かい御飯を食べて貰う食堂にしたいと考えています。
なぜなら子供は国の宝たからという大義名分も掲げるかもですが、実際に何に一番期待しているのかと言うと…
うちの食堂に
「子供三人連れて行っても、夫婦二人分しかかからないし行こうか」
と来店された場合にひとつの家族がテーブルを囲むことに依って、そこにコミュニケーションの場を提供できるのでないかということです。
みんなで御飯を食べに行こうと考える御家族が無言で食事するなんてことはないでしょうからね。
もし会話が少なめであれば
「どうだ、親父は怖いか?」
なんて吾輩が茶々入れることがあるかも知れませんが…
柔整師として働いていた頃に、小学生や中学生を対象にしたマッサージ講座を開きたいなと考えていたことがあります。
大人とは違う細い指のあたり具合とか、子供特有の握力が心地良いものだということもあります。
ですが一番はやはり
「家に帰ったら身近な人間ですぐに復習させて貰え」
と指導することに依って、親であるとか兄弟とのコミュニケーションの時間になってくれるのではと思うからです。
今は親子であっても子供が小学校高学年とか中学生になると、スキンシップもなくなっていく家庭も多いですからね。
もちろん親御さんには
「絶対にけなさず、褒めてあげて下さい」
そう根回しはしておきます。
そしてある程度の技術を身に付けたら
「あなたもう家族であっても無料でやらなくていいです、20分五百円で交渉しなさい」
と教えて、もちろん親御さんには事前に通知しておきます。
子供にとっては、技術が収入になるというのはある意味衝撃的な経験になります。
大人にとってもある程度の技術があれば、20分で五百円払うことに高くは感じないでしょう。
とにかくそこに、コミュニケーションの時間が生まれる筈です。
その頃はそれを想像して″してやったり″だったわけですが、食堂であれば目の前で確認できますからね。
仕事をただ経済活動としてではなく、他の付加価値をむしろ楽しみにやっていければ幸せに働けますからね。
一石二鳥三鳥四鳥五鳥ですよ。
若い時にはそんなことを考えもしなかったのにね。
来年の今頃の自分に出会うのも
再来年の自分に出会うのも楽しみです。
はい、左様なり♪