朝からしとしと雨が降る...

こんな日も全然嫌いではありません。

塗装屋での日雇いの仕事がこの雨で無くなったことを"アタタタ..."と思いながらも、今日一日を楽しむつもりです。


休みになったことで本日は四女の家に招待されているのですが、長男から頼まれごとをされたので

昼ぐらいからお出掛け予定となりました。

夜遅くに帰って来てまだ寝ている四男がいる部屋でゴソゴソするのも申し訳ないし

「コーヒーでも飲みながら携帯いじるか」

と、近所のDOUTORへ来ました。


四男がいなくても部屋にいると洗濯があったり片付けがあったりと、なかなかのんびりした気分にはならないわけです。
何かをやりながらでも仕事ではないですから、頭の中は自由に考え事をしていてもいいのですが...
考え事と言っても悩みだとかではなく、その殆どが回想と妄想ですけとね。

それにしても、こうして一人で外を見ながらの回想や妄想は沁々していいものです。

誰か話し相手がいればそれはそれで楽しいのでしょうが、それはまた違う楽しさであって...

結局、吾輩は一人でも人生を楽しめる構造になっているんですよね。

若い頃からそれは自覚していて、むしろそうあるべきだとも思っていました。

例えば結婚するにしても

「一人でも楽しく暮らせる者同士が一緒に暮らし始めたら、毎日の楽しさが二倍三倍になる」

なんて考えていたわけですよ。


でも"寄り添う"という観点からは、それは大きくズレているんでしょうね。

若い頃はそんな風に考えたこともなかったのですが、年齢を重ねるって本当に面白いですね。


想定外の自分と日々出会う毎日になります。


子供の頃は多くある味蕾が成長するにつれて減っていくと味覚が変わるように、加齢による脳細胞の減少の成せるこのとなのかどうかは解りませんが...


寄り添うという意識が出来始めると過去の結婚にしても

「やはり原因はこちらにあったな」

と再認識せざるを得なくなります。

それでもまだ...

一人でも楽しく暮らせる意識の方が上回っているので寂しいという想いはありませんが、相手方に「幸せに暮らして欲しい」という気持ちはより一層強くなります。


この寂しくはないというのも、きっと駄目なのでしょうね。

寄り添って暮らすものだという意識がもっと強くなれば、それも変わって来るのでしょうか。

若い頃は単直に"今後もそれはないな"と思ったことも、自分の変化をこれだけ感じる日々となっては言い切ることも出来ません。


年齢を重ねるということは、今までの自分を維持しようとしないことかも知れませんね。


それが楽に老いていくコツなのでしょうか。


五年後十年後、もしかしたら吾輩も

「ああ、何となく寂しいなあ」

と感じながら過ごしているのかも知れません。


その寂しさも楽しめていると思いますけどね。





はい、左様なり♪