宮城県の河北新報さんの取材がありましたが、先日その記事が掲載された紙面を贈られて来ました。
わざわざ記者さんが上京されて、吾輩の勝手気ままなトークを丁寧に聞いて頂きました。
取材のみならず…
ほぼプライベートな会話も結構長くお付き合い頂いて、とても愉快な時間を過ごすことが出来ました。
それだけで有難いのですが…
考えてみれば吾輩ごときに興味を持って貰うこと自体、それはもう有難いよりも恐縮ですよね。
何の取り柄も芸もあるわけでもなく子どもが多いというだけで取材対象になり、それで世間に名前を知られていっただけの親父ですから…
我が家族のあの番組を放送していた局の、編集の技術のお陰でもあると思っています。
どのような編集をすれば世間に評価されるのかということに関してはプロですからね。
放送していた時期にもよく
「子供を移すことは危険に晒すことだ」
とか
「子供を見世物にして金儲けをして」
とか、色々言われましたが我が家はまったく楽しくやってましたから特に問題はありませんでした。
「子供の真意はわからないじゃないか」
と言うのであれば、すべての子育てにおいてそうだと思います。
結婚と離婚を繰り返す人生を…
それによって"子供を振り回す"という言い方もされますが、解釈を恐れずに言えば子供は親に振り回されて成長していくしかないのです。
子供が
「本当は教師の家に産まれたかったな…」
と呟くのを耳にしたら、そこから頑張って教師を目指しますか?
そうもいかないのが人生ではないですか。
ならば子供たちの成長する時間を、せめて愉快に過ごして貰いたいとばかり考えて子育てをして来ました。
確かに経済的にも楽ではありませんでしたし様々な場面でごまかしごまかしの積み重ねでしたが、二十歳を越えた息子や娘達が今でも仲良く助け合って生活をしているのを見ると我が子育てが満更失敗ではなかったなと安心するわけです。
子供達も成長して分別がついていく中で
「こう言われて育ったけど、あれはどうかと思うよー」
なんて、吾輩のごまかしの子育てに気付くことあるでしょう。
それはそれで悪いことではないし、事実ごまかしてきたことは幾らでもありますからね(笑
最後まで笑ってごまかして逃げ切ります。
若い頃は、そんなところをいずれ子供達に謝らねばと思っていた時期もありました。
子育て中に口にすると自らの子育てを否定することになって、子供に動揺を与えてしまうと思っていましたからね。
でも相変わらず愉快に過ごしてくれている生活を見ていると
「これは謝らず仕舞いでいいんじゃね」
そう思うわけです。
「はいはい、いい加減な親でしたよ」
と、そこは認めつつ逃げ切る所存です。
河北新報さんの取材でも、そんなことを好きに話し放しで長い時間聞いて頂きました。
誰かに聞いて欲しいんですかね…
歳をとるとそんなものかも知れませんね。
河北新報さん、憩の時間をありがとうございました!
はい、左様なり♪