56歳2ヶ月と22日 | 林下清志オフィシャルブログ「ビッグダディ~俺の米粒~」

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人生を「思うようにいかない」と言う人がいますが自分の場合は、その類のショックを受けたことも無ければ立ち直れないという思いをした記憶もありません。

それは我が人生が想定の内だけで展開しているというわけではなく、長期的なプランなど持って生きていないからです。


こつこつと努力を積み重ねたり十年先二十年先のことを考えながら過ごしたことは、この年齢まで見事に何もないわけです。

「ダメな大人やないかい」

と言われたら…

反論するつもりもないぐらい、その通りです。


身も蓋もないことを言えば世の中にしっかりした大人は幾らでもいるわけで、吾輩ひとりが不埒な生き方をしていてもこの国にさほどの不利益はないと思われます。

社会に貢献してはおりませんが大きく迷惑も掛けていない、言わば客観的にはどうでもいい人間なのです。

それでやむ無しとするところです。

それでいいと言いきれないのは、これでも若い頃は自分がそんな大人になると思っていなかったからということがあります。

ひとつふたつの分野にしても勉強している自負もあったり頑張っているという勘違いもありました。

でもその勘違いをしているが故に、成り立っていたこともあるわけです。

自分を誇大表現してしまったことを自覚してその張り子を強化する努力をしたり…


まあ張り子は張り子なんですけどね。


いずれは少し落ち着いた人間になるのかもと思っていましたが、それは幻想でした。

最近では人としてのいい加減さがむしろ増してきています、歳を重ねたことに依って地が剥き出しになってきた感じですね。


加齢の楽しさと味わいを言葉で伝えるのは、本当に難しいんですよね。

到達してみてジワリと噛み締めるように…

しかもそれは何となくで…

それでいて毎日、日々、感じていくものです。


大人になるなんていうことは、子供の頃に想像していたものと大きくかけ離れてはいませんでした。

言わば「こんなものだろう」という範疇を出るものではなかったのです。 

特に男なんて生き物は年齢を重ねた分だけ大人として振る舞うことを覚えるだけで、頭の中は万年小学校五年生男子です。

男性の二十代三十代四十代に、本質的な成長はないのではないですかね。

経験と知識は積み重ねられるでしょうが…


少なくとも吾輩はそこに成長はありませんでした。



ところがところが、五十代後半にもなると…

その幼稚な部分への理解もありながら、ぼんやりと先のことを考え始めたり…

大袈裟なことを言えば

「世界が平和であればいいな」 

などと思ったりするわけです。

子供の頃から知っている自分とは違う人間性と出会って、それがとても新鮮なわけです。

「自分にこんな一面が…」

というよりも、それは加齢による変化だと感じます。


歳をとるということは、本当に面白いですね。


そう気付くと、十年後二十年後の自分との出会いも楽しみになります。



人間の脳はよく出来ていますね。




はい、左様なり