かれこれ三ヶ月ほど朝は7時からUber Eatsの受付を開始し11時半から14時までのランチ営業をはさんで、24時までまたUber EatsとTakeOutをやっています。


もちろん誰かに指示されたわけでもなく、言わば好きでやっているわけです。


折角、店長なんて待遇で雇って頂いたお店です。


東京都の要請通りにしているからとか、人の流れがないからだとか、理由があるから売り上げがなくても仕方がないなんて言ってられません。


幸いにも最初こそ朝が辛かったものの、ひと月ふた月と経過するうちに身体が慣れ…

少しでも結果が出ることが楽しくさえなってきました。

片付けを終えて深夜1時過ぎに家路に向かう際、Uber Eatsの配達員さんの自転車とすれ違うと

「まだ営業している店があるのか」

と、敗けた気持ちにさえ

なったりします。


とは言え56歳のメンタルも正直で

「いや、でももうこれ以上はしんどい」

と、全面降伏する自分もいます。


でも、そのラインまで働いているという充実感がありますよね。

そして…

目的を達成する必要があり、それを知った上での好条件で雇って貰っていることへの応えでもあります。


しかし、思いがけない形で

「それなのに…」

ということが起きるのが人生なんですよね。

普段ギリギリまでやって成立してることが

「勘弁してくれよ」

という思いとともに、バラバラと崩れていきます。


人というものはそんなに強くなくて、普段は納得もし遣り甲斐も感じていることに

「これだけやってるのにな…」

そう愚痴を言ってしまうこともあります。

その発信をする相手を間違うと

「やるしかないんだから、仕方ないじゃない」

という言葉が返ってきます。


それはまったくその通りだし解ってもいる上での愚痴を、跳ね返るように"トトンッ"と叩かれながら

「ああ、そうか…俺は今"頑張ってるね"と誰かに言って欲しいんだ…」

と気付くわけです。


歳をとるって面白いです、愉快ですよね。


今までそんな自分に出会ったことはありませんでした。



そしてそれが、そんなに嫌ではありません。


「歳はとったが、若い者には負けたくない」 

とか意地を張るとか、そんな年寄りにはなりたくないのです。


普通に歳をとって…

老いて…

朽ちていきたいのです。


「頑張って」と言われるのは、苦痛を伴います。

褒めて貰うに値しないことを褒められるのも、いい気持ちはしません。

ですが、少し弱気になった時に

「頑張ってるよ」

と、等身大に評価されることは身に染みます。




つまりは結局… 

めんどくさい老人になりそうだということです。




はい、左様なり♪