めでたく56歳になったわけですが…

若い頃は誕生日を今程は有難いと感じてはおりませんでした。

それはもちろん不愉快だとかそういうことではなく、毎年毎年誕生日を迎えることを当然のように思っていたからです。

生命を脅かすようなアクシデントに遭遇する可能性に怯えるなんてことが、あの頃でも3%ぐらいは胸の中にあったでしょうか。

それだけに…

不幸にもその後の人生をおくれなくなった友人知人がいた時のショックは、計り知れないほど大きいものでした。


しかしこの年齢になり、そんな情報を得た時に…

悲しみの強さは変わりませんが、同時にほんの少し納得と合点のいく部分もあるわけです。


少年から青年へそして壮年へとの変化があった時期にはさほど実感しなかったことですが、我が身のフィジカルやメンタルの変化を噛み締めるここ数年です。

それがまた、なかなか愉快でもあるのです。

年齢を重ねるということが当たり前の権利であるかのような気持ちで生きていた若い頃とは、比べ物にならないほど"歳をとる"ということが感慨深く新鮮なのです。


わずか二年ほど前とは全く違う人間として自分が生きている、そんな面白さがあるのですよ。


何がなくても体力だけは自信のあった自分が長い階段が億劫になったり、座ったことなどない電車で席を探すようになったり…

誰かが話すことを途中で遮ることなく最後まで聞けるようになったり、自分で自分を諭すようなことが出来るようになったりするわけです。


歳をとってみなければ解らない楽しさです。


若い頃でも

「親の気持ちは親にならなけらば解らない」

と言われれば

「それはそうだろうな」

そう頭の中では理解することが出来ます。 

それでも実感するのはやはり、親になってからなんですよね。

そんな感じですかね。


五十歳を越えた頃はまだ腕立て伏せの100回ぐらいは全然出来ました、なぜなら日を空けずやっていたからです。

でもある時、なぜかそれに意味を感じなくなったんですよね。 

歳をとっても若い者に負けたくないとか同年代の中で抜け出したいとか、そんな気持ちがなくなり"普通に年寄りになっていこう"と思ったわけです。


53歳から54歳、55歳から56歳になることが楽しくなってきたのは、それからですかね。


子育ても目処が立ち、社会的に影響力があるわけでもなく、言わばもう存在意義の薄れた自分の人生がとても心地好いわけです。




"余生"という響きがこんなにも幸せに聞こえるようになるなんて…


56歳という年齢も、しっかりと味わっていくつもりです。

わずか365日しかありませんからね。



はい、左様なり♪